関西の博徒組織の賭場で用いられたゲームとして、主に手本引がありました(*1)。一~六の札から胴師が引く札を当てるゲームです(*1)。胴師と客はともに6枚の札を持つ訳ですが、サイズが違いました。胴師は「豆札」という手のひらの中で扱える小さい札、客は「張り札」という大きい札を使いました(*1)。胴師は半纏の陰で、6枚の札から1枚選びます(*1)。選んだ札を一番上にして手拭いの中に入れます(*1)。札が手拭いに入った後、客は札を張っていきます(*1)。張り方は、1点張り~4点張りまでありました(*1)。2点張り、3点張り、4点張りにおいては、それぞれの張り方は複数あります(*1)。
例えば2点張りにおいては、①「4.6倍と1.0倍」、②「3.6倍と2.0倍」などがありました(*1)。例えば①の場合、客は「五」の札に4.6倍配当、「四」の札に1.0倍配当を期待して、「五」「四」の札と賭け金を張ります。配当が異なる為、2点張り以上は、札の張る位置が決められています(*1)。客は札張りのルールに従って、張っていきます。①の場合、4.6倍配当期待の「五」の札は縦にして奥に、1.0倍配当期待の「四」の札は縦にして手前に張ります(*1)。客が張り終わったら、胴師は手拭いを開いて札を開示します(*1)。上記の例の場合、1万円の賭け金であれば、「五」の札が出たら客には3.6万円配当されます(元金含み)。「四」の札が出たら賭け金1万円は没収されずに済みます(元金含み)。「一」「二」「三」「六」の札が出たら、客の賭け金1万円は全額没収となります。
1点張りの配当は5.5倍で、賭け金1万円の場合、4.5万円配当されます(元金含み)(*1)。4点張りは複雑です。例えば客が「五」を本命、保険として「三」「四」「六」を考えたとします。保険の「三」「四」「六」の中でも、客は「四」「六」が次に来ると考え、「三」は「四」「六」よりも来ないと考えていたとします。4点張りの張り方の1つとして、まず「五」の札を縦にして奥に張り、「五」の札下(手前)に「四」「六」の札を縦に張ります(*1)。「三」の札は、「四」「六」の札と同じ高さのラインになりますが、斜めに角度をつけて張ります(*1)。別名「ツノ」とも呼ばれます(*1)。配当は、「五」札3.0倍、「四」「六」札1.0倍、「三」札0.8倍となります(*1)。賭け金1万円の場合、「五」の札が出たら、2万円配当されます(元金含み)。「四」か「六」の札が出たら、賭け金1万円は没収されずに済みます(元金含み)。「三」の札が出たら、賭け金1万円から2千円が没収されます。「一」「二」の札が出たら、全額没収となります。手本引は、胴師と客の心理戦の要素が濃いゲームです(*1)。
1回のゲーム終了の度に、客の賭け金は精算されます。博徒組織の中で「合力」という立場の者が、精算の仕事を担います(*2)。複数の合力が胴師の脇に座り、目だけを用い計算し、金のつけ引きを客に対して行います(*2)。合力はまた、客が札を張る前に、「さぁ、さぁ、さぁ張っておくんなはれ」などのセリフを威勢よく掛けて、ゲームを盛り上げる役割も果たします(*2)。手本引の主催者である博徒組織にとって、イカサマ札を持つ客は厄介な存在でした(*3)。イカサマ札は「屏風札」と呼ばれ、屏風のように札の中央で折れて、左からめくった時、右からめくった時とで「絵柄」が異なります(*3)。例えば、1枚の札に「一」「二」の絵柄を仕込むことができます。昔、手本引の札は市販されていました(*4)。市販の札を使っている限り、イカサマ札のリスクは避けられませんでした。イカサマ札の対策として、老舗博徒組織の酒梅組は、手描きの札を用いていたとされています(*3)。手描きの札を用いれば、市販のイカサマ札の利用自体ができません。もちろん手本引は違法賭博です。
<引用・参考文献>
*1 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p193
*2 『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(鈴木智彦、2011年、文春新書), p197,201
*3 『現代ヤクザ大事典』, p92
*4 『潜入ルポ ヤクザの修羅場』, p198
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