山口組と稲川会の同盟関係は1972年10月に始まりました(*1)。ヤクザ組織間の同盟は、「親戚関係を結ぶ」ことによって形成されます。組織を代表するトップや最高幹部同士が兄弟盃を交わす方法が一般的です。組織間の力関係が対等であれば、トップや最高幹部同士は「五分兄弟盃」を交わします(*2)。
力関係が対等でない場合、「兄舎弟盃」が交わされます(*2)。2005年10月、六代目山口組組長・司忍と会津小鉄会会長・図越利次の間で、司忍を「兄」、図越利次を「舎弟」とする「兄舎弟盃」が交わされました(*3)。また力関係は対等ではないですが、交す者を調整することで、「五分兄弟盃」が交わされる場合があります。2007年9月、親和会会長・吉良博文と山口組2次団体光生会会長・光安克明が「五分兄弟盃」を交わしました(*4)。1次団体トップと2次団体トップによる「五分兄弟盃」でした。
1972年10月山口組と稲川会の同盟関係は、山口組若頭・山本健一と稲川会理事長・石井隆匡、山口組若頭補佐・益田佳於と稲川会専務理事・趙春樹、以上2組の「五分兄弟盃」が交わされたことによって、結ばれました(*5)。山口組の「若頭」、稲川会の「理事長」はともにナンバー2の役職でした。
1996年、五代目山口組組長・渡辺芳則と稲川会会長・稲川裕絋の間で「五分兄弟盃」が交わされました(*1) (*6)。トップ同士による「五分兄弟盃」でした。2005年5月稲川裕絋が死去、同年7月渡辺芳則が引退しました (*7)。翌2006年、山口組2次団体弘道会若頭・竹内照明と稲川会2次団体・山川一家若頭・内堀和也の間で「五分兄弟盃」が交わされました(*1) (*8)。2次団体のナンバー2(3次団体トップ)同士による「五分兄弟盃」でした。竹内照明と内堀和也の兄弟盃により、山口組と稲川会の同盟関係は更新されました。同時に、山口組内では弘道会、稲川会内では山川一家の存在感が大きくなりました。
<引用・参考文献>
*1 『実話時代』2015年7月号, p35
*2 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p91
*3 『実話時代』2015年7月号, p39
*4 『実話時代』2015年3月号, p24
*5 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p36
*6 『洋泉社MOOK・山口組・東京戦争』(有限会社創雄社編、2005年、洋泉社), p51
*7 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p454
*8 『実話時代』2015年3月号, p33
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