博徒組織が開帳していた賭場で、提供されていたのは賭博だけではありませんでした。飲食も振舞われていました。常設的な場所で定期的な日に開帳されていた賭場は「常盆」と呼ばれました(*1)。博徒組織の賭場が栄えた1964年以前の常盆(*2)では、業者が賭場に出入りして、飲食を売っていました(*3)。賭博の最中という性格上、つまみやすい握り飯や寿司が好まれたようです(*3)。鉄火巻きの語源は、「鉄火場」(賭場)で食べやすいものというところからきている説があります(*3)。また「替え銭屋」という金融業者も賭場に出入りしていました(*4)。博徒組織に任されて賭場の両替や金貸しを担う業者が替え銭屋でした(*4)。別の資料では「賭場における借金の利息」は「10日で1割」(通称:といち)だったと述べられていました(*5)。
<引用・参考文献>
*1 『ヤクザ大辞典 親分への道』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p89
*2 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p109
*3 『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(鈴木智彦、2011年、文春新書), p207-208
*4 『ヤクザ大辞典 親分への道』, p95
*5 『博徒・森川鹿次の生涯: 瀬戸内遊俠伝』(正延哲士、2000年、洋泉社),p25
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