「極東会」は日本最大のテキヤ組織といわれ、公安委員会から「指定暴力団」の指定を受けています(*1)。テキヤ組織では極東会だけが「指定暴力団」です(*1)。2016年時点、極東会は1都1道12県を活動範囲とし、構成員約590人を有していました(*2)。
極東会の中核組織が「松山連合会」です。1994年極東会は「1次団体」と「2次団体」の関係を垂直的な形態に改めました(*3)。1994年以前の極東会は、1次団体と2次団体の間に、「上下の関係」はありませんでした。松山連合会は、1次団体「極東会」の下に位置する「2次団体」です。
しかし実態は、2次団体・松山連合会執行部の者が、1次団体・極東会執行部も担っています。松山連合会会長の高橋仁は、極東会会長でもあります(*4)。松山連合会会長代行の宮田克彦は、極東会理事長でもあります(*4)。極東会役職の序列では、会長職が「ナンバー1」、理事長職が「ナンバー2」でした(*5)。松山連合会理事長の棚本清己は、極東会総本部長でもあります(*4)。「松山連合会執行部」と「極東会執行部」がほぼ同一化しています。
松山連合会の源流は、「関口一門」(関口愛治系統のテキヤ組織群、その系統の一人親方群)内にあった「三浦一門」でした(*6)。太平洋戦争後、関口一門の新宿進出において、三浦系組織は大きな役割を果たしました(*6)。三浦周一死去後、1975年に松山眞一が三浦周一の跡を継ぎました(三浦二代目の襲名)(*7)。松山眞一は後に極東会会長となりました(在任期間:1990~2015年)(*1) (*8)。1976年松山眞一は三浦一門の統括団体として「三浦連合会」を立ち上げました (*7)。
1979年池田亨一が三浦連合会のトップに就任しました(*6)。同年、関口一門を中心とする「極東関口会」(1次団体)が結成されました(*9)。1979年以降、三浦連合会は「極東関口会2次団体」となりました。1985年三浦連合会は「眞誠会」に改称しました(*7)。
1990年極東関口会は「極東会」に改称しました(*9)。1990年以降、眞誠会は「極東会2次団体」となりました。2001年眞誠会トップの池田亨一が死去しました(*7)。翌2002年、眞誠会は「松山連合会」に改称しました(*7)。
現在、松山連合会の傘下には、横浜の「眞一家」(*4)、新宿二丁目の「眞勇会」(*10)などがあります。
<引用・参考文献>
*1 『別冊 実話時代 龍虎搏つ!広域組織限界解析Special Edition』(2017年6月号増刊), p79
*2 警察庁「平成28年における 組織犯罪の情勢」
*3 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p19
*4 『実話時代』2017年6月号, p52-55
*5 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p20
*6 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p112,115
*7 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p81
*8 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p76
*9 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p16
*10 『実話時代』2017年7月号, p37-41
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