小金井一家と興行

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 博徒組織は興行の領域にも手を出していました。博徒組織には、普段から博打客を抱えていたことから、「集客力」がありました(*1)。興行を巡るトラブル収拾には、博徒組織の「暴力装置」(暴力行使をいとわない構成員ら)の威光が機能しました(*1)。博徒組織にとって、興行は活動しやすい領域でした。博徒組織・小金井一家の石井初太朗は、昭和初期から川崎大師を拠点に活動していました(*2)。太平洋戦争後(1945年以降)、石井初太朗は川崎の茶屋「吉水」で浪曲や芝居を打ち、興行事業を行いました(*2)。後に1960年、石井初太朗は小金井一家の六代目総長に就任しました(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『裏社会 噂の真相』(中野ジロー、2012年、彩図社), p104

*2 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p117-118

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