1975年時、「松田組」の2次団体「溝口組」の賭場(大阪市南扇町)は常盆(じょうぼん)でした(*1)。常盆とは、ほぼ毎日常設の場所で開催された賭場を指しました(*2)。常盆の別名として「常日(じょうび)」がありました(*3)。
溝口組の賭場は、毎日開催できるだけの集客力を持っていたことが推測されます。溝口組の賭場において組員は「2日働き1日休む」というシフトで働いていました(*1)。
ちなみに博徒組織は賭場開帳にあたり、施設を借りた場合、賃料を払いました(*4)。その賃料は「シキ代」もしくは「シキ料」と呼ばれました(*4)。シキとは賭場の別名でした(*4)。
本引き(サイ本引き、手本引き)の賭場において、胴元は収益の一割五分(15%)をシキ代として貸主に払いました(*5)。賭場の場所やその貸主は「盆屋」と呼ばれました(*5)。
<引用・参考文献>
*1 『実話時代』2019年6月号, p107-108
*2 『ヤクザ大辞典 親分への道』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p89
*3 『やくざ事典』(井出英雅、1971年、雄山閣出版),p192
*4 『やくざ事典』,p190
*5 『実証・日本のやくざ―正統派博徒集団の実像と虚像』(井出英雅、1973年、立風書房),p128
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