俠道会2次団体・熊本同志会

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 1975年9月熊本県の大村一家から増永要グループが脱退、天山会を結成しました(*1)。増永要は1969年、28歳の時に岐阜県の山口組下部団体に入り、渡世人生を開始しました(*2)。1974年増永要は山口組下部団体を脱退、同年いきさつを経て、大村一家内に属することになりました(*1)。翌1975年増永要は大村一家を脱退したので、増永要の大村一家在籍期間は短かったです。

 1985年12月天山会は他の6団体とともに熊本同志会を結成しました(*1)。熊本同志会トップは増永要でした(*1)。同時に熊本同志会は、広島県尾道市を拠点とする1次団体・俠道会の傘下に入りました(*1)。俠道会は1969年12月に結成され、尾道市、因島市(現在尾道市)、三原市、福山市松永を縄張りとしました(*3)。俠道会初代会長は森田幸吉でした(*3)。森田幸吉は1969~1989年まで俠道会初代会長をつとめました(*3)。増永要と森田幸吉は元々知り合いだったともあり(*4)、熊本同志会は俠道会傘下に入ったと考えられます。俠道会は森田幸吉会長時代、高知県にも下部団体を持っており(*3)、広域的な組織であったことが窺えます。

<引用・参考文献>

*1 『新・ヤクザという生き方』(野中恭太郎、1998年、宝島社文庫), p388-394

*2 『新・ヤクザという生き方』, p385

*3 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p119-121

*4 『新・ヤクザという生き方』, p379-380

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