1971年1月「古賀一家」(福岡県久留米市)の古賀磯次が、地元の「4団体」を結集し、「道仁会」を結成しました(*1) (*2)。結成時の道仁会構成員数は150人 (*1)、または200人(*3)といわれていました。結成時の道仁会は150~200人規模の組織だったことが推測されます。
古賀磯次は1965年9月に古賀一家を結成していました(*3)。
先述の「4団体」の1つに「池田組」がありました(*1)。池田博度伺が池田組を率いていました(*1)。池田博度伺にとって、古賀磯次は久留米商業高校の同級生でした(*1)。二人は久留米商業高校では柔道部に属していました(*1)。池田博度伺は道仁会では副会長を務めました(*1)。
1979年11月時点で資料から確認できる「道仁会2次団体」は古賀一家、池田組(池田博度伺組長)、「江崎組」(江崎彰組長)、「荒巻組」(荒巻三徳)、「池田繁組」(池田繁喜組長)の5つでした(*4)。
1979年11月時点の道仁会では古賀磯次が会長を務めていました(*4)。また池田博度伺(池田組)、江崎彰(江崎組)、荒巻三徳(荒巻組)の3人が副会長を務め、池田繁喜(池田繁組)が幹事長を務めていました(*4)。
1979年11月時点で松尾誠次郎は道仁会の幹事を務める一方、自身の組織として「松尾組」(道仁会3次団体)を率いていました(*4)。松尾組の上部団体は、古賀一家(道仁会2次団体)でした(*4)。
佐賀の前田論孝も1979年11月時点で道仁会の幹事を務める一方、自身の組織として「前田組」(道仁会3次団体)を率いていました(*4) (*5)。前田組の上部団体も、古賀一家(道仁会2次団体)でした(*4)。
この松尾誠次郎は1992年1月、道仁会二代目会長に就任しました(*5) (*6)。松尾誠次郎の会長就任に伴い、前会長の古賀磯次は総裁に就任しました(*6)。
2006年5月松尾誠次郎(二代目会長)は引退し、大中(松尾)義久(先述の松尾組の二代目組長)が同月(5月)三代目会長に就任しました(*7)。
<引用・参考文献>
*1 『新・ヤクザという生き方』(安田雅企、1998年、宝島社文庫), p135-136
*2 『実話時代』2019年5月号, p36
*3 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p102
*4 『公安大要覧』(藤田五郎、1983年、笠倉出版社),p558
*5 『男道 九州最強といわれたヤクザ』(安田雅企、1993年、三一書房),p78-79
*6 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』,p105
*7 『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦、2013年、講談社+α文庫),p291
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