賭場開帳権を巡る抗争

  • URLをコピーしました!

 1881年(明治十四年)幸平一家と小金井一家は縄張りを巡り、抗争に至りました(*1)。幸平一家、小金井一家ともに博徒組織で、また幕末に結成されました(*1) (*2)。沼袋(現在の東京都中野区)の神社にて幸平一家が賭場を開帳したことが抗争の発端でした(*1)。

 小金井一家は、該当の神社は「小金井一家の縄張り」であると主張し、幸平一家側の開帳を「縄張りへの侵入」と見なしました(*1)。一方、幸平一家も該当の神社は「幸平一家の縄張り」であると主張しました(*1)。

 1881年時、両団体の縄張りは近接していました(*1)。博徒組織における縄張りとは、「賭場の開帳権を行使できる地理的範囲」のことです(*3)。縄張りが近接していた為、賭場開帳権を巡り、両団体は抗争に至りやすい環境下にあったと考えられます。

 結局落合一家の落合円次郎が両団体を仲介し、抗争は収まりました(*1)。落合円次郎は仲介時、両団体の縄張りの境界線を明確にしたといわれています。落合円次郎の案により「該当神社の北側」は幸平一家、「該当神社の南側」は小金井一家の縄張りになったと推測されます(*1)。落合円次郎は「縄張りの境界線」を言語化することで、抗争再発の防止を図ったと考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p156-157

*2 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』, p141

*3 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p61

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次