太平洋戦争終了時(1945年8月)から1950年頃まで、日本には闇市がありました(*1)。主に強制疎開跡地や焼け跡にて闇市は開かれました(*1)。1944年1月の改正防空法により、東京・名古屋の指定区域において建物が強制的に取り壊されました(*2)。駅前や鉄道周辺、住宅密集地域などが「指定区域の対象」となりました(*2)。改正防空法は駅前などを空き地にすることで、火災の延焼防止を目的としました (*2)。改正防空法により建物が取り壊された土地を「強制疎開跡地」と呼びました。
しかし強制疎開跡地や焼け跡には元々地主がいました(*1)。1947年東京都は都条例により疎開跡地の地上権回復を表明しました(*1)。以降、地主は闇市の土地返還を要求していきました(*1)。1950年以降闇市は消滅したことから(*1)、闇市の土地は次第に地主に返還されたと考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『東京のヤミ市』(松平誠、2019年、講談社学術文庫), p150-167
*2 『東京のヤミ市』(松平誠、2019年、講談社学術文庫), p208
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