日本の覚醒剤市場はヤクザ組織によって支配されています(*1)。2018年時点、ヤクザ組織は47都道府県全てで活動していました(*2)。日本中にヤクザ組織間のネットワークがあることが分かります。覚醒剤取引は、日本中にあるヤクザ組織間ネットワークにのって行われます(*1)。
ヤクザ組織は、所属先の1次団体の枠を超え、他団体とも覚醒剤の取引を行っています(*1)。「元売のヤクザ組織の1次団体」と「小売のヤクザ組織の1次団体」が異なる場合が時にあります(*1)。
日本の覚醒剤ビジネスにおいて「分業体制」が敷かれていることが分かります。覚醒剤ビジネスは警察当局から厳しく摘発される性格上、リスク分散を常に強いられることが背景にあると考えられます。日本において「日本全体の覚醒剤ビジネスを独占したヤクザ組織」が存在したという話は聞いたことがありません。
1951年以前、日本において覚醒剤は製造、販売、利用が合法的に認められていました(*3)。1940年代前半から、各製薬会社は覚醒剤を一般人に向け販売していました(*3)。ヒロポンは、大日本製薬が販売した覚醒剤の「商品名」でした(*3)。しかし1951年、覚醒剤の製造、販売、利用等々を違法とする「覚醒剤取締法」が制定されました(*3)。1951年以降、裏社会で「覚醒剤ビジネス」が開始されました。
太平洋戦争終了時(1945年)から1990年代まで、独立団体のヤクザ組織が多かったです。当時、多くのヤクザ組織が覚醒剤ビジネスに参入したことで、結果的に「分業体制」が形成されていったと考えられます。
海外の麻薬ビジネスにおいても「分業体制」が見られます。メキシコの麻薬カルテルはアメリカ麻薬市場で「卸レベル」までしか関与していません(*4)。小売は他団体によって行われていることが分かります。
<引用・参考文献>
*1 『薬物とセックス』(溝口敦、2016年、新潮新書), p130-136
*2 『実話時代』2018年2月号, p14-33
*3 『薬物とセックス』, p85-87
*4 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳、2014年、現代企画室), p348
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