1945~1954年にかけて、興行界ではガセネタ興行が流行りました(*1)。ガセネタ興行とは、有名な芸能人の「偽者」を演者とする見世物でした(*1)。ガセネタ興行は、「本物の芸能人の興行」であるかのように思わせ、客を集めました(*1)。浪曲のガセネタ興行では、広沢虎造の「偽者」が多かったと言われています(*1)。NHKのTV放送開始は1953年で、受信契約世帯は1,000ありませんでした(*2)。多くの人は「芸能人の顔」を写真で知る程度だったと考えられます。「芸能人の顔」の同定が困難だったことも、ガセネタ興行流行の背景にありました(*1)。
本物の芸能人を抱える興行会社からの追及をかわす為、ガセネタ興行側は「広沢虎三一座」のように、一座の名前を本物と同じにはしませんでした(*1)。ガセネタ興行側はあくまでも、演者の名前が「有名な芸能人の名前」と偶然似ていただけに過ぎないと主張できます。
またガセネタ興行側は、本物の芸能人の興行スケジュールを把握し、本物側の遠くで興行を展開しました(*1)。本物側の興行が終わって間もない地域で、ガセネタ興行を展開すると、「偽者」が発覚しやすいです。
<引用・参考文献>
*1 『興行界の顔役』(猪野健治、2004年、ちくま文庫), p38-39
*2 『興行界の顔役』, p68
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