任侠系右翼団体の機関紙

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 右翼団体の中には、ヤクザ組織とつながりを持つ団体があります。ヤクザ組織とつながりを持つ右翼団体は「任侠系右翼」と呼ばれます(*1)。任侠系右翼団体の代表としては、住吉会系の日本青年社(1969年結成)(*2)、稲川会系の大行社(1924年結成後、活動中止期間を経て、1981年稲川会2次団体・三本杉一家元総長・岸悦郎により再興)(*3)等があります。日本青年社結成者は、住吉会2次団体・小林会初代会長の小林楠扶でした(*2)。小林楠扶は1990年の死去まで、日本青年社会長と小林会会長を兼任しました(*2)。右翼団体及びヤクザ組織トップを兼任している人物としては他に、右翼団体・大日本朱光会会長の阿形充規がいました(*4)。阿形充規は住吉会2次団体・日野一家のトップでもありました(*4)。

 任侠系右翼団体の特徴としては、ヤクザ組織の元構成員の受け入れがあります(*1)。任侠系右翼団体が絶縁、破門された構成員の行き先の1つとなっています(*1)。またヤクザ組織は任侠系右翼団体の人事に影響力を持っています(*1)。ヤクザ組織が任侠系右翼団体の人事に影響を持てる背景としては、右翼団体の結成時や初期活動時にヤクザ組織が深く関与したことがあると考えられます。

 大阪の博徒組織・松田組(活動期間:1945~1978年)(*5)の場合、下部団体の中に右翼団体がありました。松田組2次団体・村田組の下部団体として、1971年右翼団体・大日本正義団が結成されました(*6)。1975~1978年に起きた松田組と山口組の抗争において、大日本正義団は「松田組の攻撃部隊」として活動したことでも知られています(*7)。大日本正義団は右翼団体の活動として、機関紙『正義』を発行していました(*6)。大日本正義団は大阪の大手企業13社に対し、月額3,000~3万円の購読料で販売していました(*6)。月額料金だったことから、『正義』は月刊発行だった可能性があります。文脈上、大日本正義団が「暴力装置」(暴力行使をいとわない構成員ら)を威光にし、13社に購読を迫ったと考えられます。大日本正義団にとって『正義』購読料から得られる収入は、月に最大で39万円(13×3万円)だったことが分かります。

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザ1000人に会いました!』(鈴木智彦、2012年、宝島SUGOI文庫), p151-153

*2 『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(伊藤博敏、2016年、小学館文庫), p304

*3 『右翼・行動の論理』(猪野健治編、2006年、ちくま文庫), p191

*4 『右翼・行動の論理』, p204,215-216

*5 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』(木村勝美、2009年、メディアックス), p234,244-246

*6 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』(木村勝美、2009年、メディアックス), p70-73

*7 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p198-206

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