太平洋戦争終了時(1945年8月)から1950年頃まで開かれていた闇市において(*1)、「かつぎ屋」と呼ばれる業者が、商品の運送機能を担っていました(*2)。かつぎ屋は商品を産地から消費地まで、主に列車・電車を使い、運んでいました(*2)。闇市は違法領域にあり、闇市に商品を運送するかつぎ屋も違法領域にありました。「名古屋⇔東京」「大阪⇔東京」の行き来に特化したかつぎ屋も当時いました(*3)。しかし商社機能の復活など、次第に商品の供給体制が整ってくると、かつぎ屋の活動範囲は狭まり、闇市とともに消滅しました(*2)。
闇市を主に仕切っていたのはテキヤ組織でした(*4)。テキヤ組織の中には、全国の高市(縁日や祭り)を回る組織もありました(*5)。高市を回ることで、テキヤ組織は全国各地にネットワークを有していたと考えられます。1945年8月~1950年頃の闇市の時代において、テキヤ組織の元々有していたネットワークが、闇市における商品供給において一定の役割を果たしたと考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『東京のヤミ市』(松平誠、2019年、講談社学術文庫), p188
*2 『東京のヤミ市』, p209
*3 『東京のヤミ市』, p72
*4 『東京のヤミ市』, p152-153
*5 『ヤクザに学ぶ 伸びる男 ダメなヤツ』(山平重樹、2008年、徳間文庫), p154-160
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