博徒組織の発生の一因として、貨幣経済の浸透があります(*1)。物々交換の経済下においても、賭博は「物」や「罰の回避」を賭けることで行われていました。平安時代の宮中では、「賭弓(のりゆみ)」という賭博があり、勝者には衣服(装束)、敗者には「酒を飲む」という罰が与えられました(*2)。また平安時代には「草合わせ」(珍しい種類の草を持ち寄り、優劣を決める)という賭博もあり、敗者は勝者に「衣服」を渡すというルールで行われていました(*2)。
貨幣には「価値尺度」「支払決済手段」「価値貯蔵」の3機能があります。
博徒組織は賭博を専業にする集団です。博徒組織の収入は「手数料」「負け客の賭金」であり、支出は「勝ち客への配当金」です。博徒組織は「精算」を行う必要があります。「価値尺度」を持つ貨幣は精算がしやすいです。一方、「価値尺度」が曖昧な物品では、精算が困難です。
また貨幣は価値尺度を持つ為、分割性(両替機能)に優れています。1万円が「10分割」されても、千円10枚になるだけなので、価値は減りません。貨幣は分割されても、価値が低下しにくいのです。一方、衣服が10分割されたら、着用困難になる為、価値を失います。貨幣の分割性により、胴元(博徒組織)は客に対し、多くの勝負(賭博の機会)を提供できます。
賭場の客側にとっても貨幣は利便性を持っていました。物理的に小さい貨幣は賭場まで「持ち運び」やすいです。持ち運びやすさは「支払決済手段」の機能に該当します。また貨幣機能の「価値貯蔵」により、勝ち客は配当金をその場で使わず、次の賭場開催日の軍資金として取っておくことができました。
「貨幣経済の浸透した地域」において、博徒組織は生まれやすかったと考えられます。裏を返せば、「貨幣経済の浸透してないかった地域」では、博徒組織は生まれにくかったと考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『やくざと日本人』(猪野健治、2011年、ちくま文庫), p118-119
*2 『江戸のギャンブル』(有澤真理、2017年、歴史新書、洋泉社), p18-19
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