戦前(1941年以前)、三島大社(静岡県三島市)の高市(たかまち)は、関口愛治のテキヤ組織も参加するなど、大規模なものとして知られていました(*1)。高市とは、社寺の祭礼や縁日に仮設される露店市のことでした(*2)。高市のほとんどは、1年ごともしくは1カ月ごとに開催された定期門前市でした(*2)。
高市では、その高市を仕切る地元テキヤ組織の親分が、露店配置決めの権限を持っていました(*2)。出店露店商は、その高市を仕切るテキヤ組織側に場所代(ショバ代)を払いました(*2)。
太平洋戦争終了(1945年)後、数年間三島大社の高市は開かれませんでしたが、1948年再び開かれることになりました(*3)。戦後の混乱が、三島大社における高市の開催を困難にさせたと考えられます。他の高市も同様に、再開まで時間を要したと考えられます。
戦後しばらくの間、東京を拠点にするテキヤ組織は、闇市の「管理人」の役割を担い、闇市から資金を獲得(露店商から場所代等の徴収)していました(*4)。
もし太平洋戦争終了から数年間で高市の開催数が少なかったとしたら、闇市に関与できなかったテキヤ組織、つまり高市における露店商売を主な収入源とするテキヤ組織は経済的苦境に陥っていたと考えられます。
ちなみに、特に大きな高市は「大高(おおだか)」と呼ばれました(*5)。一方、小さい高市は「ボサ高(だか)」と呼ばれました(*6)。また北海道の夏の高市は「夏高(なつだか)」と呼ばれました(*7)。
<引用・参考文献>
*1 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p62
*2 『盛り場の民俗史』(神崎宣武、1993年、岩波新書), p44-48
*3 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p70
*4 『東京のヤミ市』(松平誠、2019年、講談社学術文庫), p150,154-155
*5 『間道 – 見世物とテキヤの領域』(坂入尚文、2006年、新宿書房),p34
*6 『間道 – 見世物とテキヤの領域』,p175
*7 『間道 – 見世物とテキヤの領域』,p17
コメント