タリバンは長年、アフガニスタンにおける麻薬(アヘン、ヘロイン)ビジネスを取り仕切ってきました(*1)。アフガニスタンはケシ(アヘン、ヘロインの原料)栽培地として有名です(*1)。タリバンは宗教軍事組織です(*2)。1989年ソ連軍のアフガニスタン撤退以降、アフガ二スタンは内戦状態に陥りました(*3)。内戦の要因として、ソ連軍を相手に戦ってきた「ムジャヘディン」のグループ間で対立が生じたことがあります (*3)。
タリバンは、隣国パキスタンのイスラム神学校の先生(聖職者)と生徒(難民キャンプ出身)により、興されました(*3)。1994年11月タリバンの部隊がパキスタンからアフガニスタンに入り、以降アフガニスタンで勢力を伸張させていきました(*3)。1996年6月タリバンは首都カブールを手中に収め、政権に就きました(*3)。2001年アメリカ軍を中心とした有志連合軍がタリバンをカブールから追い出しました(*1)。しかし以後もタリバンはアフガニスタン政府と戦いを継続していきました(*1)。
アフガニスタンで製造された麻薬がヨーロッパに密輸される主な経路として、イランとトルコの経由がありました(*4)。イランは1979年イスラム革命以降、イスラム法学者らの勢力により支配されていきました(*5)。1980年から始まったイラン・イラク戦争の間に、イラン政府は国民の監視体制を強化しました(*5)。イランでは「反政府勢力」が生まれにくいと言われています(*5)。イランにおいては「日本のヤクザ組織」に該当する、国の治安機関と対立する組織は、ほぼ活動していないように考えられます。
多くの国において麻薬ビジネスは、「裏社会組織」により担われています。イランにおいて麻薬の密輸に関与している組織は、どこなのでしょうか。
イランには軍隊が2つあります(*6)。「正規軍」のイラン・イスラム共和国軍、「最高指導者ホメイニ師の私兵」として生まれた革命防衛隊の2つです(*6)。革命防衛隊は軍隊組織でありますが、様々なビジネスに関与しています(*6)。革命防衛隊のビジネスの1つに「ガソリン密輸」があります(*6)。2010年時点のイラン国内において、国の補助金でガソリンが近隣諸国に比し、安く販売されていました(*6)。革命防衛隊は「イラン国内の安いガソリン」を近隣諸国に密輸するビジネスを手掛けていました(*6)。革命防衛隊がガソリン密輸ビジネスを行えた要因として、革命防衛隊が国境警備を担っていることが挙げられます(*6)。革命防衛隊は検問を恣意的に行える立場であることが窺えます。
アフガニスタンからヨーロッパに運ばれる麻薬の多くはイランとトルコを経由しました(*4)。麻薬がイランを通る際、革命防衛隊の一部勢力が「見て見ぬ振り」をしてきた可能性もあると考えます。
<引用・参考文献>
*1 『選択』2018年7月号「アフガニスタンが再び「テロの巣窟」に」
*2 『タリバン』(田中宇、2001年、光文社新書), p69
*3 『タリバン』, p14-18
*4 『国際情勢の見えない動きが見える本 新聞・テレビではわからない「世界の意外な事実」を読む』(田中宇、2001年、PHP文庫), p60
*5 『国際情勢の見えない動きが見える本 新聞・テレビではわからない「世界の意外な事実」を読む』, p255-257
*6 『選択』2010年6月号「イラン経済を食い尽くす「革命防衛隊」」
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