明王朝時代の密貿易

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 中国の明王朝時代(1368~1644年)において、民間の貿易は禁止されていました(*1)。1374年以前まで、明王朝において中国の商人が海外に行くこと、外国商人が中国に来ることが認められ、商人間の貿易が頻繁に行われていました(*1)。「市舶司」という公的機関が当時の貿易管理を担っていました(*1)。しかし1374年明王朝は市舶司を撤廃しました(*1)。以降、明王朝における民間貿易は禁止されました。

 例外はありました。周辺国が明王朝に朝貢する時にのみ、貿易が許されました(*1)。行政機関同士の貿易(官営貿易)のみ、明王朝では認められていました。

 北方民族のモンゴルも15世紀末まで、明王朝に対し朝貢していました(*2)。歴史的に遊牧民主体の北方民族は農耕しない為、農耕地帯(中国)との貿易を必要としました(*3)。貿易の機会を失くすと、北方民族は農耕地帯に侵攻しました(*3)。歴代の中華王朝は北方民族を抑える為、辺境に交易場を設置していました(*3)。明王朝は一部の部族を除き、北方民族との交易場を廃止しました(*3)。代わりに、北方民族には朝貢の権利が与えられました(*3)。しかし16世紀初頭、モンゴルは明と戦争状態になり、朝貢を通じた貿易機会を失くしました(*2)。

 「交易場」と「朝貢」の2つの経路を失くしたモンゴルにとって、農耕地帯の物資を獲得する方法は「略奪」と「密貿易」の2つでした(*2)。明側の密貿易の参加者は軍人や商人でした(*2)。

 中国の沿海部においては、15世紀後半以降、密貿易が盛んになっていきました(*4)。

<引用・参考文献>

*1 『陸海の交錯 明朝の興亡 シリーズ 中国の歴史④』(檀上寛、2020年、岩波新書), p48-50

*2 『陸海の交錯 明朝の興亡 シリーズ 中国の歴史④』, p131-134

*3 『陸海の交錯 明朝の興亡 シリーズ 中国の歴史④』, p88

*4 『陸海の交錯 明朝の興亡 シリーズ 中国の歴史④』, p92-93

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