アメリカ軍基地とヤクザ組織間抗争

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 太平洋戦争終了(1945年)後、日本各地に戦勝国アメリカ合衆国の軍基地が置かれました。不良アメリカ合衆国兵が拳銃を密かに持ち出し、基地外で売っていたことから、アメリカ合衆国軍基地周辺において拳銃が出回りました(*1)。

 アメリカ合衆国軍基地が縮小傾向に入った後も、規模の大きい沖縄や岩国(山口県)のアメリカ合衆国軍基地周辺では拳銃が出回っていました(*1)。沖縄県の沖縄本島においては148の基地がありました(*2)。基地内では外で山積みにされたS&Wリボルバー式の短銃が見られました(*2)。戦後沖縄には拳銃が大量にあったことが推測されます。

 戦後沖縄においてヤクザ組織間の大規模な抗争が5回起きました(*3)。第一次抗争(1961~1963年)、第二次抗争(1964~1966年)、第三次抗争(1967年)、第四次抗争(1974~1981年)、第五次抗争(1990~1992年)の5回とも、拳銃が用いられました(*3)。

 岩国基地の岩国市は広島県と隣接しています。広島県も戦後ヤクザ組織間の大規模な抗争が3回起きました。第一次抗争(1946~1954年)、第二次抗争(1963~1964年)、第三次抗争(1971~1972年)の3回とも、拳銃が用いられました(*4)。

 太平洋戦争終了(1945年)以前の広島市(広島県)には、西日本でも有数の陸軍基地がありました(*5)。広島市の陸軍基地には師団本部が設けられ、大量の戦略物資が集積していました(*5)。その戦略物資は、宇品港から戦地に送られました(*5)。ちなみに同県の呉市には日本海軍の鎮守府がありました(*6)。

 沖縄と広島の2例に限りますが、拳銃の出回った地域で抗争が起きていたことが分かります。

 日本の警察当局はアメリカ合衆国軍基地を捜査できませんでした(*7)。かりにアメリカ合衆国軍基地経路で拳銃を入手した組員が後に警察当局に逮捕され正直に入手先について話しましたとします(*7)。警察当局はアメリカ合衆国軍基地に踏み込めない為、入手先まで捜査できません(*7)。アメリカ合衆国軍基地以外の経路で拳銃を入手したとしても、組員が入手先を「アメリカ合衆国軍基地」と言えば、「実際の入手先」を警察当局の捜査から守ることができます。警察当局からの追及を避ける意味でも、ヤクザ組織にとって、「アメリカ合衆国軍基地」は重宝されたと考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『マニラ好き』(日名子暁、2007年、太田出版), p109-110

*2 『洋泉社MOOK・沖縄ヤクザ50年戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2004年、洋泉社), p66-67

*3 『洋泉社MOOK・沖縄ヤクザ50年戦争』, p58-118

*4 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p78-86

*5 『俠道: しまなみ海道異聞』(正延哲士、1999年、青樹社),p5

*6 『俠道: しまなみ海道異聞』,p84

*7 『塀の中の元極道 YouTuberが明かす ヤクザの裏知識』(懲役太郎、2020年、宝島社), p90-93

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