近代の満洲において、「馬賊」という組織が活動していました。満洲の地理的範囲は、現在の中国東北地方(遼寧省、吉林省、黒龍江省)に概ね該当します(*1)。
中国において略奪、誘拐、暴行等を行う組織は「匪賊」(ひぞく)と呼ばれました(*2)。匪賊は略奪等を目的とする為、違法的組織でした。また匪賊は目的遂行の為、武装化していました(*2)。
澁谷由里氏は、馬賊を近代満洲の匪賊の「1つのカテゴリー」と定義しています(*2)。匪賊と異なり、馬賊は特定地域において「防衛組織」の役割を果たしました(*2)。当時の中国において正規軍は信用されておらず、各地域は自身で「防衛力」を調達する必要がありました(*2)。満洲の有力者は、一部の匪賊を支援し、地域の「防衛」を担わせました(*2)。
「有力者」とは地主、商工業者や科挙のタイトル保持者等のことを指しました(*3)。有力者からの支援とは、金銭的支援のことで、別名「保険料」と呼ばれました(*4)。馬賊は別名「保険隊」とも呼ばれました(*4)。馬賊には、支援者の地域(「保険区」)において略奪等の違法活動をせず、他の武装組織から地域を守る役割が課せられました(*2)。一部の匪賊が有力者に売り込んで「馬賊」に転じた、または有力者が一部の匪賊をスカウトし「馬賊」に転じさせた場合もあったと考えられます。
満洲に1916年、自身の政権を作った張作霖は、元は馬賊の頭領でした(*5)。馬賊時代の張作霖の組織は、約1ヘクタールにつき銀一両の価格体系で「保険料」を徴収しました(*4)。1900年時の張作霖の組織は、27の村を「保険区」としていました(*4)。
馬賊は保険区外では、略奪等の違法活動をしました(*4)。馬賊は、保険区では「防衛隊」、保険区外では「匪賊」という、2つの顔を持つ組織だったことが分かります。
<引用・参考文献>
*1 『馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国』(澁谷由里、2017年、講談社学術文庫), p24
*2 『馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国』, p29-34
*3 『馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国』, p69,78-79
*4 『馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国』, p70-72
*5 『馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国』, p260-261
コメント