上州新田郡強戸村(現在の群馬県太田市)で1847年(江戸時代)に作られた『要文記』では、当時の太田町において3つの常設賭場があったと書かれています(*1)。18世紀後半以降、関東・中部地方では養蚕業が発展しました(*2)。養蚕業の発展は農村に貨幣収入をもたらしました(*2)。貨幣の流通により、賭博業が盛んになっていきました(*2)。博徒組織は賭博を開催することで、収入を得ていました。賭博業の発展は、博徒組織の発展でもありました。3つの常設賭場があった太田町には、複数もしくは単体で大きな博徒組織が活動していたことが推測されます。
<引用・参考文献>
*1 『日本史リブレット49 八州廻りと博徒』(落合延孝、2014年、山川出版社), p69
*2 『日本史リブレット49 八州廻りと博徒』, p94
コメント