1955年頃から1969年頃まで、日本においてヘロインが流行りました(*1)。ヘロインは抑制作用のある麻薬です(*2)。ヘロインの抑制作用により、使用者は強力な幸福感を感じます(*2)。しかしヘロイン常用者は依存症に陥り、ヘロインを断つと離脱症状(禁断症状)を起こします(*2)。横浜愚連隊四天王の一人として知られた出口辰夫(通称「モロッコの辰」)はヘロイン常用者であり、ヘロインの影響もあったのか1955年34歳で死去しました(*3)。
1955年頃から始まったヘロイン流行の供給面の背景として、旧日本軍所有の「あへん」や医療用麻薬の流出、朝鮮戦争(1950~1953年)の帰還兵によるヘロインの持ち込み、香港からのヘロイン密輸、以上の3点が挙げられます(*1)。
当時ヘロインの俗語は「ペー」「ペイ」でした(*1)。ヘロイン密売所は「ぺー屋」と呼ばれていました(*1)。ヘロイン密売所は「バラックの2階の一室」に設置されることが多かったです(*1)。
当時ヘロインの純度は20~30%で、ブドウ糖や塩酸プロカイン等で希釈されていました(*1)。純度20~30%のヘロインは、1袋0.03~0.05gの商品形態で、1袋1,000円程度で密売されました(*1)。後に、ヘロイン供給量が減少すると、純度10%のヘロインが1袋3,000~5,000円で密売されました(*1)。供給量減少により、ヘロインの需要が高まったことが分かります。
ヘロインに対する取締り強化により、1969年頃ヘロインの流行は収まりました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『マトリ 厚労省麻薬取締官』(瀬戸晴海、2020年、新潮新書), p102-107
*2 『マトリ 厚労省麻薬取締官』, p71-73
*3 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p34-41
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