製氷会社とヤクザ組織

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 ヤクザ組織は過去、製氷会社を影響下に置いていました。山口組三代目田岡一雄組長時代(1946~1981年)(*1)、山口組2次団体・湊組(兵庫県姫路市)トップの湊芳治は、ヤクザ組織と同時に、製氷会社を経営していました(*2)。湊芳治(1908年生まれ)は田岡一雄の舎弟でした(*2)。その製氷会社の名前はミナト製氷で、湊芳治が社長を務めていました(*3)。

 製氷会社はバーやスナックに氷を卸しました(*2)。ヤクザ組織は製氷会社を介し、バーやスナックからミカジメ料を徴収していたのでした(*4)。ヤクザ組織の影響下の製氷会社は「割高な氷代」をバーやスナックに請求したのです。「氷代の支払い」にミカジメ料の支払いも紛れていた為、「ミカジメ料の支払い経路」は可視化されにくくなっていました。氷代は神戸が一番高かったといわれていました(*4)。

 かき氷販売は、元々ヤクザ組織の関与した商売だったと言われています(*5)。氷にシロップをかけるだけでかき氷は作れます(*5)。かき氷の製造コストは低い為、かき氷販売の利幅は大きいです。氷屋の派生ビジネスとして、かき氷が生まれたとも考えられます。

 また昔の博徒組織は氷をよく利用しました。賭場は性格上、人の目を避けるべく窓を閉め切った密室に設置されました(*6)。冷房機器が発達していなかった時代、気温が高くなると、博徒組織は賭場に氷柱を置き扇風機を回すことで、暑さ対策をしていました(*6)。

 山口組五代目渡辺芳則組長時代(1989~2005年)(*7)の若頭・宅見勝(1936年生まれ)(*7)は、山口組入りする前の土井組系川北組組員時代、1962年まで氷屋を営んでいました(*8)。

<引用・参考文献>

*1 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p18-21

*2 『洋泉社MOOK・山口組・50の謎を追う』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2004年、洋泉社), p113

*3 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、1998年、講談社+α文庫), p361

*4 『別冊宝島 56 ヤクザという生き方 – 都市の底に棲む男たちの物語!』「極道の世界、ちょっといい話」(住谷礼吉、聞き手:日名子暁、1986年、JICC出版局),p117

*5 『塀の中の元極道 YouTuberが明かす ヤクザの裏知識』(懲役太郎、2020年、宝島社), p81

*6 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑦ 現代ヤクザマルチ大解剖』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2004年、メディアボーイ), p136

*7 『山口組の100年 完全データBOOK』, p26-29

*8 『山口組若頭暗殺事件 利権をめぐるウラ社会の暗闘劇』(木村勝美、2009年、文庫ぎんが堂), p44-47

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