1998年時、常設の露店商売は「道路交通法違反」に該当し、警察当局の取締り対象でした(*1)。太平洋戦争終了(1945年)から少しの間、日本では常設の露店商売が許されていました(*2)。
しかし1950年3月、東京都が道路上の露店商売を全面禁止しました(*3)。同年内、東京都から常設の露店商売が無くなりました(*4)。他の地域においても1950年前後に、常設の露店商売は禁止されていったと考えられます。テキヤ業界は、1950年前後までの常設露店商売を「平日」(ヒラビ)と呼んでいました(*2)。
「平日」の禁止(1950年前後)以降も、繁華街の道路では露店商売が見られました。繁華街の露店商は基本的に、ヤクザ組織に「場所代」を払っていました(*1)。
露店商は「警察当局の取締り対象」である以上、商売上のトラブル解決を警察当局に頼ることができません。結果、露店商はヤクザ組織から暴力的脅迫を受けても警察当局に行けない為、ヤクザ組織に「場所代」を払うという選択肢しか持っていなかったのです。
<引用・参考文献>
*1 『新・ヤクザという生き方』(山之内幸夫、1998年、宝島社文庫), p318
*2 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p177
*3 『東京のヤミ市』(松平誠、2019年、講談社学術文庫), p195
*4 『東京のヤミ市』, p188
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