チャクトウをつける

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 高市(たかまち)における露店の出店場所は、庭主(その高市を仕切る地元テキヤ組織の親分)の差配により、決まりました(*1)。高市では、出店場所により売上が変わりました(*2)。庭主が露店商の「生殺与奪権」を握っているようなもので、「高市の最高意思決定者」の立場であったことが考えられます。

 高市とは、社寺の祭礼や縁日に仮設される露店市のことでした(*3)。高市のほとんどは、1年ごともしくは1カ月ごとに開催された定期門前市でした(*3)。

 庭主による出店場所決めは、「ショバ割り」(*1)または「ミセワリ」(*4)と呼ばれました。神奈川県平塚における七夕の高市は、かつて「ショバ割り」に3日間費やしていました(*2)。庭主と露店商の立ち会いのもと、ショバ割りは行われました(*4)。

 露店商は「ショバ割りの日」までに、高市の開催都市に到着する必要がありました。開催都市への到着のことを、露店商は「チャクトウをつける」と言っていました(*2)。チャクトウとは、「到着」の二文字(「到」「着」)を入れ替えて呼んでいることからきていました(*2)。

 ショバ割りの日までに「チャクトウをつけられないこと」は、露店商にとって重大なミスだったことが考えられます。

  また出店露店商は、庭主の組織に場所代を払いました(*3)。各出店者の場所代は概ね、高市の総経費÷出店数で求められました(*3)。この計算方法では、「立地の良い場所に出店した露店商」と「立地の悪い場所に出店した露店商」の払う場所代は同額だったことになります。テキヤ組織間の力関係が、ショバ割りに反映することもありました(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザに学ぶ 伸びる男 ダメなヤツ』(山平重樹、2008年、徳間文庫), p155-157

*2 『ヤクザ大全 その知られざる実態』(山平重樹、1999年、幻冬舎アウトロー文庫), p56-57

*3 『盛り場の民俗史』(神崎宣武、1993年、岩波新書),p44-45

*4 『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』(厚香苗、2014年、光文社新書), p146

*5 『間道 – 見世物とテキヤの領域』(坂入尚文、2006年、新宿書房),p159

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