イタリア系アウトロー組織の「象徴」と位置づけられるのがマフィアです。マフィアはイタリアのシチリア島から誕生したアウトロー組織です。マフィアの源流は「農地管理人」でした(*1)。
1861年イタリア王国の誕生により、イタリアは統一されました(*2)。イタリア統一前のシチリアは、1735~1860年までスペイン・ブルボン家により支配されていました(*3)。スペイン・ブルボン家の統治時代、シチリアの2/3以上の農地及び森林は、貴族により所有されていました(*4)。スペイン・ブルボン家の統治時代(1735~1860年)、シチリアの土地制度は、貴族による大土地所有制であったことが分かります(*1)。
貴族は、シチリア外に住む不在地主であり、農地管理人に農作業の監督業務や販売業務を委託していました(*1)。シチリアの大土地所有制度が農地管理人により補完されていたことが窺えます。農地管理人は「貴族の代理人」という立場を活かし、次第に権力を持ち始めたと考えられます。実際農地管理人は「農地の転貸」(農地の又貸し)により収益を得ていました(*1)。
イタリア統一(1861年)後も、シチリアでは大土地所有制度が継続されました(*5)。シチリアの大土地所有制度は農地管理人を必要とした為、イタリア統一後も農地管理人の権力は拡大し、一部の農地管理人は「マフィア」(*6)に変容していったと考えられます。
マフィアは農地管理人としての役割を果たす一方、家畜肉の密売等(*7)の違法活動もしていました。シチリアにはマフィアの他に「山賊」が活動していました(*7)。山賊は主に家畜窃盗、誘拐等を収益源としていました(*7)。マフィアは山賊から家畜(牛や羊)を買い取り、屠畜場で解体した上で、肉を密売していました(*7)。マフィアは家畜肉をヨーロッパ大陸や北アフリカにも密売していました(*7)。20世紀前半マフィアのボスの一人だったドン・ヴィートは漁船団を持っていました(*7)。ドン・ヴィートの漁船団はカラブリア、サルデーニャ島、マルセーユ、チュニジアまで漁獲しに行っていました (*7)。一方でドン・ヴィートの漁船団は密売目的で家畜肉も輸送していました(*7)。マフィアは山賊を傘下に収めている訳ではなく、「違法領域のビジネスパートナー」として山賊を扱っていました(*7)。つまり家畜肉密売ビジネスにおいて、山賊は「窃盗」、マフィアは「解体及び輸送及び販売」を担うという業務分担が敷かれていたことが分かります。
20世紀に入ったシチリアでは、不景気を背景に、国外への移民が続出しました (*9)。シチリアからの移民は主に、フランス、アメリカ、アルゼンチン、ブラジル等に渡りました(*9)。1901~1913年の間に、106万3,734人がシチリアから外国に移民として渡りました(*9)。1911年時のシチリアの総人口は367万人2,000人でした(*9)。1911年時の総人口の約1/3が、13年の間に国外に渡ったことになります。シチリアからアメリカに渡った移民の一部がアメリカで、アウトロー組織つまりアメリカ版マフィアを結成しました(*9)。
イタリアは第1次世界大戦(1914~1918年)に参戦しました。第1次世界大戦後、シチリアでは帰還兵による農地獲得運動が始まりました(*10)。対する大土地所有者はマフィア(農地管理人)を用い、農地獲得運動を潰しにいきました(*10)。マフィア側は大土地所有者の期待に応え、農地獲得運動の指導者を多数暗殺しました(*10)。第1次世界大戦以後、大土地所有者にとって、マフィアの価値は高まっていったと考えられます。当時(第一次世界大戦以後)のマフィアの首領として知られたのが、カロジェーロ・ヴィッツィーニでした(*10)。
1922年イタリアの国政において、ムッソーリニのファシスト党が内閣を作りました(*11)。以後、1943年までイタリアはファシスト党により支配されました(*2) (*10) (*11)。ファシスト党政権下において、シチリアでは1925~1931年マフィアの撲滅作戦が遂行されました(*8)。しかしマフィアが壊滅することはありませんでした(*10)。
1940年イタリアは第二次世界大戦に参戦しました(*2)。イタリアはドイツ及び日本と手を結び、アメリカやイギリス等の連合国側と戦いました。1943年7月連合国軍がシチリアに上陸、翌8月シチリアを占領下に置きました(*12)。連合国軍側はシチリア占領及び統治において、マフィアを活用しました(*13)。
アメリカマフィアのサルヴァトーレ・ルチアーノは、当時アメリカで収監中でしたが、釈放されシチリアに渡りました(*13)。巷間、釈放後のサルヴァトーレ・ルチアーノは連合国軍のシチリア上陸をサポートする「情報員」の役割を果たしたと言われました(*13)。サルヴァトーレ・ルチアーノは以後、シチリアを拠点にマフィア活動を行いました(*13)。ちなみにサルヴァトーレ・ルチアーノは、「ラッキー・ルチアーノ」という通称でも知られています(*13)。
またアメリカマフィアのヴィート・ジェノヴェーゼもイタリアに渡り、連合国軍の通訳として、活動しました(*13)。連合国軍はシチリア西部において、マフィアを市長に任命しました(*13)。マフィアを市長に任命したことから、連合国軍とマフィアの間に「同盟関係」があったことが窺えます。
連合国軍の統治以降、シチリアのマフィアの活動が活性化していきました(*13)。マフィアは連合軍の配給物資を奪い、闇市に転売することで、収益を得ていました(*13)。
戦後(1945年以降)の日本の沖縄においても、アメリカ軍の物資の窃盗により、収益を得るグループがいました(*14)。アメリカ軍物資の窃盗グループは通称「戦果アギャー」と呼ばれ、沖縄のヤクザ組織の源流となりました(*14)。
<引用・参考文献>
*1 『地中海の十字路=シチリアの歴史』(藤澤房俊、2020年、講談社選書メチエ), p184-185
*2 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p256
*3 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p151
*4 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p154
*5 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p202
*6 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p222-223
*7 『シチリア・マフィアの世界』(藤澤房俊、2020年、講談社学術文庫), p87,93,108
*8 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p203
*9 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p192-193
*10 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p196-197
*11 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p199
*12 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p208-211
*13 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p218-220
*14 『洋泉社MOOK・沖縄ヤクザ50年戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2004年、洋泉社), p23-24
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