覚醒剤供給元の変遷

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 1951年覚醒剤取締法の制定・施行により(*1) (*2)、日本において覚醒剤の使用、所持、輸出入、製造等が取締対象行為となりました(*1)。1951年以降、覚醒剤は日本において「違法薬物」となりました。

 1951年以前、覚醒剤の供給元は製薬会社でした(*1)。1940年代前半、製薬会社から覚醒剤が市販されました(*1)。覚醒剤の主要な販売先として、軍隊や軍需工場がありました(*3)。覚醒剤は戦地における兵士の士気向上、軍需工場における徹夜労働の生産性向上の為に、用いられました(*3)。大日本製薬により販売された覚醒剤(商品名「ヒロポン」)は日本軍に多く備蓄されました(*1)。

 太平洋戦争終了(1945年)以降、旧日本軍備蓄のヒロポンが民間に流出しました(*1)。ヒロポンの蔓延は社会問題となり、1948年ヒロポンは劇薬指定されました(*1)。翌1949年覚醒剤の錠剤・散薬の製造及び販売が禁止されました(*1)。しかし覚醒剤取締法施行の1951年まで、「注射剤の製造」だけが認められました(*1)。2年の間に注射剤が流通した結果、「注射剤による摂取方法」が浸透しました(*1)。

 1951年覚醒剤取締法施行以降、覚醒剤の供給元は海外になりました(*4)。覚醒剤は製造過程で特有の臭いを発生させる為(*4)、日本国内の覚醒剤密造は摘発されやすいです。まず韓国が覚醒剤の供給元となりました(*5)。後に韓国内で覚醒剤取締が強化された結果、韓国からの覚醒剤供給は減りました(*5)。1980年代後半以降、台湾、中国、北朝鮮などが覚醒剤の供給元となりました(*5)。特に台湾産の覚醒剤は、「混ぜ物なし」の品質だったようです(*5)。

 覚醒剤ビジネス業界における「覚醒剤の利点」の1つとして、保管が利くことがありました(*6)。覚醒剤は製造から1年以上経っても、丁寧に保管されれば、品質を維持できました(*6)。

 覚醒剤が「在庫」となっても、価値を落とすことはなかったのです。一方、品質が落ちやすい違法薬物として知られるのが大麻(マリファナ)です(*6)。大麻は植物という性格上、7~10日で鮮度を落とすと言われています(*6)。大麻は「在庫」になると、価値が落ちるのです。

<引用・参考文献>

*1 『薬物とセックス』(溝口敦、2016年、新潮新書), p85-89

*2 『マトリ 厚労省麻薬取締官』(瀬戸晴海、2020年、新潮新書), p100-101

*3 『薬物依存症』(松本俊彦、2018年、ちくま新書), p81

*4 『マトリ 厚労省麻薬取締官』, p56-57

*5 『マトリ 厚労省麻薬取締官』, p126-127

*6 『塀の中の元極道 YouTuberが明かす ヤクザの裏知識』(懲役太郎、2020年、宝島社), p99-100

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