2011年以降の高市における露店配置決定方法

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 2010年各都道府県で暴力団排除条例が施行されていきました(*1)。翌2011年には全都道府県が暴力団排除条例施行に至りました(*2)。暴対法(1992年施行)に基づく「指定暴力団」(公安委員会より指定される)(*3)に該当しないテキヤ組織も「暴力団排除条例」の適用を受けました(*4)。2011年以降テキヤ業界では、広域ヤクザ組織からの脱退、解散を選ぶ組織が目立ちました(*2)。2011年以降、警察当局及び行政側はテキヤ組織による「高市(たかまち)」の露店営業を認めなくなりました(*4)。

 高市とは、社寺の祭礼や縁日に仮設される露店市のことでした(*5)。高市のほとんどは、1年ごともしくは1カ月ごとに開催された定期門前市でした(*5)。

 庭主(地元のテキヤ組織の親分)が高市における露店配置の裁量権を持っていました(*6)。2011年全国で暴力団排除条例が施行されました(*2)。暴力団排除条例の全国施行(2011年)以降、露店配置決めにおいて、庭主は関与できなくなりました(*2)。

 暴力団排除条例を受けて、新宿の花園神社は、露店配置決定方法として、くじ引きを採用しました(*2)。しかし、くじ引きでは同じ売り物の露店が並んでしまうリスクがあります(*2)。花園神社は人為的な調整も入れて露店を配置しているようです(*2)。

 最後に高市に関連する話をします。

 仙北地方(宮城県石巻市、登米市、栗原市、大崎市、岩手県一関市の南部あたり)では「互市(たがいち)」と呼ばれた市が春と秋の年2回、開催されていました(*7)。互市という名の市は、仙北地方にしかありません(*7)。

 民俗学者・山本志乃は、仙北地方では天明のころから幕末にかけて、飢饉や災害で疲弊した宿場町の再建策として、定期市や社寺の祭礼日(従来の高市)を組み合わせた「高市」が住民自らの手で行われ、後にその「高市」はタガイチとも読めることから、「互市」の字が当てられたのではないかという説を述べていました(*8)。

<引用・参考文献>

*1 『教養としてのヤクザ』(溝口敦+鈴木智彦、2019年、小学館新書), p140

*2 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』(猪野健治、2015年、筑摩書房), p195-197

*3『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p158

*4『溶けていく暴力団』(溝口敦、2013年、講談社+α新書), p87-89

*5『盛り場の民俗史』(神崎宣武、1993年、岩波新書), p44

*6『ヤクザに学ぶ 伸びる男 ダメなヤツ』(山平重樹、2008年、徳間文庫), p157

*7『「市」に立つ: 定期市の民俗誌』(山本志乃、2019年、創元社),p153-154,161-162

*8『「市」に立つ: 定期市の民俗誌』,p169

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