ノミ屋ビジネス

  • URLをコピーしました!

 ノミ屋は営業手段として主に電話を用いていました (*1)。ノミ屋は「公営競技(ギャンブル)のレース」を対象とする賭博サービスを客に提供しました(*1)。実際の公営競技の胴元(ギャンブルの主催者)は、地方自治体などの公的機関です。ノミ屋は無許可で「公営競技の胴元」となり、賭博ビジネスを展開しました(*1)。ノミ屋には賭博罪(常習賭博及び賭博場開帳等図利)が適用されました(*2)。

 昔の公営競技では、レース会場及び場外売り場においてのみ券は販売されました(*3)。一方、ノミ屋は「電話注文」を可能としていました(*3)。ノミ屋の利用客は移動せずとも、電話で券を買えました。しかしノミ屋の場合、客数が限られる為、「当たり券の支払い金額」に上限が設けられていました(*1)。ノミ屋の中には、参加回数の下限(例:最低3レース参加する)を客に求めるノミ屋もありました(*4)。ノミ屋にとって、1レースだけ参加の客は売上に貢献しないからです。

ノミ屋の多くは競馬レースのみを扱っていました(*2)。競馬よりマイナーな競技のレースを扱い客が大勝ちした場合、ノミ屋が多額の配当を調達することになります。ノミ屋にとって、多数客の参加するレースのみを扱うことが営業面で重要でした。ノミ屋によっては「中央競馬(日本中央競馬会主催)レース」のみを扱う場合もあれば、「中央競馬レース」に加えて「地方競馬(地方自治体主催)レース」も扱う場合もありました(*2)。

 ノミ屋は券1枚を100円で販売し、外れ券を没収しました(*5)。ノミ屋の中には、外れ券1枚につき「10円の払い戻し」をするところもありました(*5)。ノミ屋の払い戻しは「オチ」と呼ばれました(*5)。オチ付きのノミ屋の場合、2万円分購入した客は全て外したとしても、払い戻しで2千円を受け取れました。オチもノミ屋の特長だったと考えられます。

 ノミ屋における支払い及び配当は、週単位(月曜から日曜の最終レース)で行われていました(*2)。ノミ屋は電話注文の為、決済は事後に行われました。客は「翌週金曜日までに支払い」、ノミ屋は「翌週火曜日までに配当」をすることになっていました(*2)。

 一方、常設型のノミ屋もありました(*4)。常設型のノミ屋は「サテライト」と呼ばれました(*6)。

 また喫茶店や床屋がノミ屋の「中継胴」になる場合もありました(*7) (*8)。中継胴は少額注文の客を扱っていました(*8)。中継胴の喫茶店や床屋が「ノミ屋の営業所」として機能していた訳です。ノミ屋は「利益の2割」を中継胴に払っていたようです(*7)。別の事例ではノミ屋は中継胴に対し「客の注文額の1割」を払っていました(*8)。

 1975年頃、福岡県飯塚市の飯塚オートレース場付近にもノミ屋(現地では「ニギリ屋」と呼ばれていました)がありました(*9)。飯塚オートレース場のニギリ屋には、1日につき1~3千万円が渡ったといわれています(*9)。ヤクザ組織「九州俠友連合」(飯塚市)などが飯塚オートレース場のニギリ屋ビジネスを仕切っていました(*9)。しかしヤクザ組織側は直接的には関与せず、資金をニギリ屋に提供し、ニギリ屋からミカジメ料を徴収する形で関わっていたといわれています(*9)。

<引用・参考文献>

*1 『裏経済パクリの手口99』(日名子暁、1995年、かんき出版), p102-103

*2 『DATAHOUSE BOOK 011 シノギの手口』(夏原武、2003年、データハウス), p212-214

*3 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p192

*4 『新版・現代ヤクザのウラ知識』(溝口敦、2006年、講談社+α文庫), p110-111

*5 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p198-199

*6 『ヤクザ1000人に会いました!』(鈴木智彦、2012年、宝島SUGOI文庫), p254

*7 『ミナミの帝王 パクリと詐欺の超手口』(郷力也・天王寺大編著、藤原義恭監修、1997年、日本文芸社),p134

*8 『別冊宝島Real 037号 現代ヤクザのシノギ方』(夏原武編著、2002年、宝島社),p124

*9 『実録 乱世喧嘩状』(藤田五郎、1976年、青樹社),p188

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次