2007年時フィリピンのマニラにあるカラオケクラブは日本人観光客を主要客としていました(*1)。カラオケクラブは日本人の需要に合わせ、同伴やアフターなど日本のクラブと同じサービスを提供していました(*1) (*2)。カラオケクラブのオーナーは日本人が多かったと言われています(*2)。
フィリピンの女性は2004年頃まで興行ビザにより「タレント」として来日し、日本のパブ、スナック、クラブなどで最長6カ月働くことができました(*3)。興行ビザによる来日及び就労を国連の小委員会が「人身売買」と非難したことから(*3)、日本政府は興行ビザを本物の歌手やダンサーにしか発給しないことにし(*4)、2004年以降来日するフィリピンの女性数が減少していきました(*3)。
2004年以前、カラオケクラブには日本での就労を望む女性が働いていました(*5)。カラオケクラブに在籍するフィリピンの女性は、日本のプロダクションから、来日及び就労の要請を受けることがあったからです(*6)。オーナーの多くが日本人と言われる為、カラオケクラブは日本との接点が多かったと考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『マニラ好き』(日名子暁、2007年、太田出版), p37
*2 『マニラ好き』, p27
*3 『マニラ好き』, p60-65
*4 『マニラ好き』, p194
*5 『マニラ好き』, p87
*6 『マニラ好き』, p34-35
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