「丁字家一門」(丁字家系統のテキヤ組織群、その系統の一人親方群)の源流である「甲州丁子家」が明治初頭に結成されました(*1)。甲州丁子家は文字通り、甲州(山梨県)を拠点としていました(*1)。また甲州丁子家は、組織名において、「家」ではなく「子」を用いていました(*1)。甲州丁子家初代は古田健太郎でした(*1)。古田健太郎の子分であった内田軒治は福島県常磐炭鉱近辺に活動拠点を移しました(*2)。内田軒治はそこで「奥州丁字家」を立ち上げました(*2)。また古田健太郎の子分であった藍忠八は山形に活動拠点を置きました(*2)。
<引用・参考文献>
*1 『新・ヤクザという生き方』(朝倉喬司、1998年、宝島社文庫), p227
*2 『新・ヤクザという生き方』, p230
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