アメリカのジョージア州アトランタ市においてストリップ・クラブは、地元出身ラッパーの「輩出の場」として機能してきました(*1)。1980年代からアトランタ市ではストリップ・クラブがラッパーにライブの機会を提供してきました(*1)。アトランタ市のストリップ・クラブにはDJもいました(*2)。アトランタ市で有名なストリップ・クラブとして「マジック・シティ」「ブルー・フレイム・ラウンジ」などがありました(*1)。
アトランタ市のストリップ・クラブが地元ラッパーの「受け皿」として機能した背景には、アトランタが「ニューヨークやロサンゼルスメディアの圏外」だったことがありました(*1)。当時ニューヨークやロサンゼルスの音楽業界がアトランタのラップ業界に注目しておらず、アトランタのラッパーは地元のストリップ・クラブから活動を開始するしかなったと考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『TRAP HISTORY:ATLANTA CULTURE AND THE GLOBAL IMPACT OF TRAP MUSIC』(A.R.SHAW,2020,Bluefield Media, LLC), p37-39
*2 『<music is music>レクチャー・シリーズ ポップ・ミュージックを語る10の視点』「ヒップホップ・シーンの裏側 ネット、ゴシップ、セレブ・カルチャー」(渡辺志保、2020年、アルテスパブリッシング) p174-176
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