縁日講社と御供講社

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 テキヤ業界で「講社」(こうしゃ)とは、複数のテキヤ組織が集った団体(テキヤ組織の集合体)を指しました(*1)。明治時代(1868~1912年)の横浜では、「縁日講社」と「御供講社」が活動していました(*1)。両団体ともコロビを主な稼業としていました(*1)。コロビとは、口上付きの露店営業のことでした(*2)。コロビを行う場所は路上で、ゴザを敷いて物を並べていました(*1)。コロビでは地面のゴザの上に置いても支障のない物(古道具、白布、下駄、靴等)が販売されました(*3)。衛生上コロビでは食品は販売されにくかったと考えられます。

 御供講社はコロビ以外にも、仮設興行も手掛けていました(*1)。当時の仮設興行はテキヤ組織の事業領域でした。

  一方の縁日講社には、飴徳一家の初代竹内徳治郎やその子分の桜井庄之助が入っていました(*1)。極東初代の関口愛治は桜井庄之助の子分でした(*4)。桜井庄之助は筆を主に販売していました(*1)。

<引用・参考文献>

*1 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p31-33

*2 『ヤクザ大全 その知られざる実態』(山平重樹、1999年、幻冬舎アウトロー文庫), p51

*3 『社会学選書⑪ 露店研究』(横井弘三、2021年、いなほ書房), p19-20

*4 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』, p10

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