東京品川区の小見世(コミセ)系テキヤ組織としては、茨城一家がありました(*1)。茨城一家は戦前(1941年以前)から活動しており、品川区の荏原、目黒、品川に縄張り(庭場)を持っていました(*1)。
小見世(コミセ)とは「テキヤ組織による販売形態」の一種で、口上なしの露店営業を指しました(*2)。小見世は、テキヤ組織の中でも「素人に近い者」や「預かり者」により担われていました(*2)。一方、口上ありの露店営業は「コロビ」と呼ばれました(*3)。
茨城一家の分家としては「秋本」「大野木」等がありました(*1)。分家を許された構成員は基本的に「実力のある舎弟」に限られていました(*4)。元の組織は、分家に縄張りの一部を譲渡しました(*5)。分家以外の独立方法として「一家名乗り」がありました(*4)。一家名乗りを許された構成員は「実力のある子分」に限られていました(*4)。しかし一家は、元の組織から縄張りは割譲されませんでした(*5)。ゆえにテキヤ業界では「分家」は「一家」より上位に置かれていました(*4)。
<引用・参考文献>
*1 『朝倉喬司芸能論集成―芸能の原郷 漂泊の幻郷』(朝倉喬司著・『朝倉喬司芸能論集成』編集委員会編、2021年、現代書館), p324-325
*2 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p222-223
*3 『新・ヤクザという生き方』(朝倉喬司、1998年、宝島社文庫), p224
*4 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』(猪野健治、2015年、筑摩書房), p99
*5 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』(猪野健治、2015年、筑摩書房), p72-73
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