かつて日本では街頭賭博が行われていました。闇市や縁日、公営賭博場の付近で街頭賭博は開かれ、別名「伝助賭博」とも呼ばれていました(*1)。1935年刑事の増田伝助が街頭賭博のイカサマを見破り検挙したことから、「伝助賭博」と呼ばれるようになりました(*1)。イカサマを見破った人の名前が付く「伝助賭博」には、実際イカサマが多かったです(*1)。「伝助賭博」のゲームとしては、大道将棋、モミ、モヤ返し、三山崩しがありました(*1)。
三代目山口組の若頭を務めた山本健一の山健組も当初は、街頭賭博を行っていました(*2)。1961年神戸で発足した山健組は当初、港湾労働者を対象に路上で小さな賭博を開催していました(*2)。1964、1965年に警察当局は違法賭博に関して「非現行」でも検挙できる方針に改めます(*3)。現行犯でなくても、後日の「違法賭博をやっていた」という証言(2人以上の証言)で検挙できるようになったのです(*3)。非現行の検挙実施により、博徒組織の違法賭博業は下降線を辿ります(*3)。
裏返せば、1965年まで違法賭博業は、博徒組織にとって主要な資金獲得源であったことが考えられます。1965年までは、博徒組織は常盆(毎日開かれる賭博場)や手配博打を開いていました(*4)。1961年頃山健組が街頭賭博を行っていたことは、発足当初の山健組は常盆や手配博打を開く力を持っていなかったことを示しています。
<引用・参考文献>
*1 『賭けずに楽しむ日本の賭博ゲーム』(伊藤拓馬、2015年、立東舎), p132
*2 『武闘派 三代目山口組若頭』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p73-74
*3 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編、2002年、双葉文庫), p108-109
*4 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p12
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