“七代目”山口組若頭候補を検証

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 巷間、六代目山口組司忍組長の引退、新体制の発足が噂されています。司忍組長(1942年生まれ)は今月25日に80歳を迎える為、将来自身の高齢を踏まえ引退を決断するのかもしれません(*1)。次期トップ(七代目組長)の筆頭候補が若頭・髙山清司(1947年生まれ)です(*1)。髙山清司は1989年から弘道会若頭(当時の弘道会会長は司忍)を務め、2005年司忍の山口組組長就任と同時に山口組若頭に就きました(*1)。髙山清司は30年超「司忍のナンバー2」として活動してきました。

 「実力派のナンバー2」はややもすれば、トップから警戒心を抱かれやすいです。実際五代目山口組体制(1989~2005年)では渡辺芳則組長(1941年生まれ)(*2)と宅見勝若頭(1936年生まれ)(*3)の間には対立関係がありました(*4)。宅見勝は実力派の若頭として知られていました(*4)。両者の対立は1997年宅見勝射殺事件の遠因となりました(*4)。

 対して司忍は一貫して髙山清司をナンバー2に置き続けてきました。髙山清司も一貫して司忍に仕え続けてきました。おそらく互いに打算を持ちつつも、両者は協調関係を維持し続けてきたと考えられます。司忍としては髙山清司を労う意味で「跡目を譲る意思」はあるのでしょうが、髙山清司は実直な性格から司忍存命中の七代目組長就任を拒否すると考えられます。司忍が存命中に引退する場合、髙山清司も同時に引退する可能性があると考えられます。

 両者同時引退の場合、三代目弘道会会長の竹内照明(1960年生まれ)(*1)が七代目山口組組長に就任するでしょう。現在竹内照明は山口組内では執行部職の若頭補佐を務めています(*5)。将来、竹内照明が七代目組長に就任した際、誰を若頭に選ぶのでしょうか。

 若頭補佐は竹内照明を含めて現在7人います(*5)。同じ若頭補佐から選ぶとすると、竹中組(兵庫県姫路市)組長・安東美樹(1955年生まれ)、平井一家(愛知県豊橋市)総裁・薄葉政嘉(1957年生まれ)が浮上します(*1)。2019年11月27日兵庫県尼崎市で竹中組元構成員が神戸山口組幹部を自動小銃にて射殺しました(*6)。警察組織の捜査では組織的関与が明らかにされませんでしたが、俯瞰的にみれば安東美樹率いる竹中組が神戸山口組との抗争で戦功をあげた格好です。ヤクザ組織の人事では「抗争時の戦功」は昇格要因となります。薄葉政嘉率いる平井一家は弘道会と同じ愛知県を本拠地としています。実話誌等では薄葉政嘉が竹内照明と並んでいる写真がよく見かけられます。竹内照明と薄葉政嘉の間には一定の信頼関係があると考えられます。

 また若頭補佐の下の幹部職(8人)から選ぶとすると(*5)、極粋会(大阪府東大阪市)会長・山下昇(1958年生まれ)が挙げられます(*1)。山下昇は主要2次団体の1つであった旧極心連合会のナンバー2を長らく務めていました(*1)。また大阪の解体業界では山下昇は「重要人物」として知られていました(*7)。おそらく山下昇は解体業界で「顔役」的なポジションにいたのでしょう。現在山下昇は幹部職に加えて「若頭付」を務めています(*5)。髙山清司から一目置かれる人物であることが分かります。山下昇の直参(山口組2次団体トップ)昇格は2013年5月で、竹内照明も同時期に直参に昇格しました(*5)。竹内照明とは「直参昇格の同期」の仲になります。

 しかし安東美樹(1955年生まれ)、薄葉政嘉(1957年生まれ)、山下昇(1958年生まれ)の3人とも、竹内照明(1960年生まれ)より年長です。五代目山口組体制ではトップの渡辺芳則(1941年生まれ)より、若頭の宅見勝(1936年生まれ)の方が年長でした。弘道会では竹内照明は自身より年少の中野寿城(1962年生まれ)、野内正博(1966年生まれ)、間宮誠次(1964年生まれ)(*8)を若頭や本部長に据えていました(*9) (*10)。

 若頭補佐及び幹部において竹内照明より年少になるのは、若頭補佐の石井一家(大分市)総長・生野靖道(1965年生まれ)、幹部の豪友会(高知市)会長・加藤徹次(1966年生まれ)の2人になります。年齢を踏まえると2人とも実力者であると推測されますが、2人の本拠地が神戸及び名古屋から遠いです。物理的距離の遠さは、竹内照明と密な連携をとるうえでは障害となります。

 弘道会からの抜擢も考えられます。実際司忍(弘道会の初代会長)は2005年六代目山口組組長就任時、二代目弘道会会長・髙山清司を「六代目山口組若頭」に抜擢しました。つまり司忍は自身の2次団体(弘道会)・若頭を一気に「1次団体(山口組)・若頭」に引き上げたのです。竹内照明が七代目山口組組長に就任した場合、順当では弘道会若頭・野内正博(*9)が四代目弘道会会長に就任(山口組直参に昇格)するでしょう。同時に四代目弘道会会長・野内正博が「七代目山口組若頭」にも就くというシナリオも思い浮かばれます。「2005年六代目山口組誕生劇」を焼き直す展開は一つの可能性としてあります。

 「弘道会トップ」「山口組ナンバー2」はともに巨大な権限を有します。ゆえに同一人物が2つの地位に就くことは問題視されるかもしれません。対策として竹内照明は四代目弘道会会長に野内正博を就かせるものの、七代目山口組若頭には「別の弘道会出身者」をあてる可能性があります。筆頭候補は中野寿城でしょう。中野寿城は弘道会の前若頭です(*10)。中野寿城現在中野寿城は弘道会では舎弟頭補佐を務めています(*9)。弘道会内では中野寿城は、野内正博の「叔父貴」にあたります。竹内照明は二代目髙山組組長時代(2005~2013年)(*1)、中野寿城を髙山組若頭に据えていました(*11)。つまり竹内照明は中野寿城を髙山組、弘道会で自身のナンバー2に置いていたのです。中野寿城の山口組直参昇格の時が「七代目山口組誕生」の前兆かもしれません。

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<引用・参考文献>

*1 『六代目山口組10年史』(2015年、メディアックス), p17~87

*2 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p26

*3 『日本のヤクザ100の喧嘩 闇の漢たちの戦争』(別冊宝島編集部編、2017年、宝島社), p58

*4 『喰うか喰われるか 私の山口組体験』(溝口敦、2021年、講談社), p185-200

*5 『週刊実話』2022年1月6・13日号, p223

*6 『週刊実話』2019年12月19日, p32-35

*7 『週刊文春』2015年10月1日号, p24

*8 『BAMBOO MOOK 二代目弘道会総覧』(ジェイズ・恵文社編、2010年、竹書房)

*9 『週刊実話』2021年7月29日・8月5日号, p42

*10 『週刊実話』2019年11月28日号, p32

*11 『週刊実話』2016年6月16日号, p34

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