コマンチェロズの創設者

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 オーストラリア系バイカーギャング「コマンチェロズ」(Comancheros)の創設者は、スコットランド人のウィリアム・“ジョック”・ロス(William “Jock” Ross)でした(*1)。ウィリアム・“ジョック”・ロスは元々スコットランドのグラスゴーで暮らしており、後にオーストラリアに移住しました(*1)。移住前のウィリアム・“ジョック”・ロスはイギリス陸軍の王立工兵隊(Royal Engineers)に6年間所属していました(*1)。

 ウィリアム・“ジョック”・ロスはバイク好きであったこともあり、オーストラリアに移住後、バイカーギャングをシドニーで結成しました(*1)。組織名はジョン・ウェイン主演の西部劇映画『コマンチェロ』(1961年制作)に由来しています(*1)。1973年のある日、ウィリアム・“ジョック”・ロスがテレビで放映中の『コマンチェロ』を見たことをきっかけに、その題名を組織名に採用したのでした(*1)。

 軍隊出身のウィリアム・“ジョック”・ロスは構成員に対し、行進訓練、敵対クラブに対する模擬攻撃など軍隊並みの戦闘訓練を課しました(*1)。コマンチェロズ内でのウィリアム・“ジョック”・ロスの呼称は「最高司令官」(Supreme Commander)でした(*1)。またウィリアム・“ジョック”・ロスは組織内に精鋭攻撃部隊を作りました(*1)。当時のコマンチェロズは「民間武装組織」の様相を呈していたと考えられます。ちなみにコマンチェロズのクラブハウスにはナチスの旗が掛けられていました(*1)。

 内部で培われた武力は外部でも行使され、当時のコマンチェロズは他クラブと常に抗争をしていました(*1)。コマンチェロズは「ロンナーズ」(Loners)というバイカーギャングと抗争し、結果ロンナーズを壊滅に追い込みました(*2)。以後、旧ロンナーズ勢力は「バンディレロス」(Bandileros)という組織名で、コマンチェロズの「フィーダークラブ」(feeder club)として活動していきました(*3)。フィーダークラブとは、いわゆる「サポートクラブ」(Support club)(*4)の一種だと考えられます。サポートクラブとは文字通り、「大手バイカーギャング」を支援する組織のことです(*4)。

 コマンチェロズでは「10ヵ条の掟」(Ten Commandments)が作られました(*2)。10ヵ条の掟では、臆病な構成員、仲間から盗みを働いた構成員、仲間の女と関係を持った構成員、ハードドラッグの販売及び使用した構成員、組織内の不和を助長させた構成員は、いかなる者でも、追放に処せられると明文化されていました(*2)。また10ヵ条の掟では、仲間の窮地を助けなかった構成員、組織内の情報を外部に漏らした構成員は、追放ではなく、厳格に処分されると明文化されていました(*2)。

 ある日、衛視長(sergeant-at-arms)のコリン・“シーザー”・キャンベル(Colin“Caesar”Campbell)らは、ウィリアム・“ジョック”・ロスがある構成員の妻と関係を持っている場面を目撃してしまいました(*2)。車内でウィリアム・“ジョック”・ロスは構成員の妻と性行為を行っていたのです(*2)。コリン・“シーザー”・キャンベルらはその場で車のドアをノックし、ウィリアム・“ジョック”・ロスを睨んだだけで、後を去りました(*2)。トップのウィリアム・“ジョック”・ロスは自ら、10ヵ条の掟を破っていたのでした。

 当時のコマンチェロズでは、他クラブのように構成員の投票に基づいて組織が運営されることはなく、ウィリアム・“ジョック”・ロスに意思決定権が集中していました(*3)。当時のコマンチェロズは運営面では専制主義をとっていました。

 しかしコリン・“シーザー”・キャンベルは、トップの違反行為を問題視し、会議の開催を図りました(*2)。しかしウィリアム・“ジョック”・ロスは応じず、組織を2分割にすることにしました(*2)。1982年前半コマンチェロズは2つの支部(西シドニー郊外、シドニー都市部)に分裂しました(*2)。ウィリアム・“ジョック”・ロスは西シドニー郊外の支部を率い、反ウィリアム・“ジョック”・ロス派はシドニー都市部の支部で活動していきました(*2)。分裂から3ヶ月後、反ウィリアム・“ジョック”・ロス派(シドニー都市部支部)の中心メンバーは、コマンチェロズから脱退しました(*2)。

 時期は不明ですが、コマンチェロズの構成員アンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサー(Anthony Mark “Snodgrass”Spencer)はもう1人の構成員とともに、アメリカ合衆国に渡りました(*1)。このアンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーは、反ウィリアム・“ジョック”・ロス派(シドニー都市部の支部)の中心人物でした(*2)。先述したように、分裂から3ヶ月後、アンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーは、衛視長のコリン・“シーザー”・キャンベルらとともに、コマンチェロズを脱退しました(*2)。

 アンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーらの渡米目的は、ハーレー・ダビッドソンの部品を購入することでした(*1)。当時のオーストラリアではハーレー・ダビッドソンの部品はあまり流通していませんでした(*1)。アンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーらはアルバカーキ市(ニューメキシコ州)を訪問、バンディドス(Bandidos)のトップであるロニー・ホッジ(Ronnie Hodge)と会談しました(*1)。バンディドスは1966年テキサス州で結成されたバイカーギャングです(*1)。

 アンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーの会談目的は、アメリカ合衆国における盗品及び中古のバイク部品をオーストラリアに供給するパイプを形成することでした(*1)。バンディドスには「アメリカ合衆国側における供給元」の役割を期待したのです。当時のバンディドスは違法薬物ビジネスではカナダのモントリオール市拠点のアウトロー組織と協同し、また中東のレバノンには銃器を供給していると警察当局からは疑われていたことから(*1)、違法ビジネスを国際的に展開していたと考えられます。

 モントリオール市拠点のアウトロー組織とは、リズートファミリーのことでしょう。1978年以降モントリオール市の裏社会では、コトローニファミリーに代わり、リズートファミリー(シチリア系マフィア出身の)が主に治めていました(*5)。当時のモントリオール市には、パキスタンやレバノンからは大麻、コロンビアからはコカイン、シチリアやタイからはヘロインが密輸されていました(*5)。リズートファミリーはそれらの違法薬物をアメリカ合衆国に再輸出することで、利益を上げていました(*5)。再輸出先はニューヨーク州やニュージャージ州でしたが(*5)、リズートファミリーはテキサス州などバンディドスに向けて違法薬物を送っていたことが考えられます。

 一方、バンディドスのロニー・ホッジはアンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーに対し、バンディドスへの移籍、アメリカ合衆国に覚醒剤原料を送ること(密輸)、以上2点を提案しました(*1)。ロニー・ホッジの欲した原料とは、「メチルアミン」(methylamine)と「フェニル-2-プロパノン」(P2P)でした(*1)。P2Pに関しては、当時アメリカでは違法的扱いでしたが、オーストラリアでは合法的扱いでした(*6)。1980年からヘルズ・エンジェルス(Hell’s  Angels)のメルボルン支部構成員らは、オーストラリアで覚醒剤を密造し、莫大な収益を上げていました(*6)。

 メルボルン支部構成員らはアメリカ合衆国のヘルズ・エンジェルス構成員からのレシピをもとに、覚醒剤を作っていました(*6)。レシピの代償として、メルボルン支部構成員らはアメリカ合衆国のヘルズ・エンジェルスにP2Pを密輸していました(*6)。つまりバンディドスのロニー・ホッジは、ヘルズ・エンジェルスの方法をどこかで知り、アンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーを使って、真似しようと考えたのです。

 アンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーの一派(元々はコマンチェロズのシドニー都市部支部)は1983年「バンディドス・シドニー支部」を設立しました(*3) (*7)。翌年(1984年)バンディドス・シドニー支部とコマンチェロズの間で抗争(通称「ミルペラの虐殺」)が起きました(*3)。抗争では死者が7人(構成員6人と15歳の少女)出てしまい、アンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーは逮捕されました(*1)。殺人罪に問われたアンソニー・マーク・“スナッドグラス”・スペンサーは、裁判前に収容施設内で自殺しました(*1)。ウィリアム・“ジョック”・ロスも逮捕され、1990年代前半まで収監されました(*1)。ウィリアム・“ジョック”・ロスは社会復帰後、コマンチェロズに戻り、「最高司令官」として組織を率いました(*1)。

 後にコマンチェロズはブリスベン(クイーンズランド州の州都)に支部を設けるなど、勢力を拡張させていきました(*8)。

 2003年コマンチェロズ内でトップの交代劇が起き、ウィリアム・“ジョック”・ロスに代わり、22歳のマフムード・“ミック”・ハウィ(Mahmoud ‘Mick’ Hawi)が新トップに就きました(*9)。交代劇では、マフムード・“ミック”・ハウィがトップの座を奪取した模様です(*9)。新トップが22歳という年齢だったことから、世代間対立が2003年当時のコマンチェロズ内であったのかもしれません。「二代目」のマフムード・“ミック”・ハウィはレバノンのベイルート生まれでした(*9)。マフムード・“ミック”・ハウィ体制下において、コマンチェロズは中東、太平洋諸島、ギリシャ、セルビアを出自とする若者を組織に取り込んでいきました(*9)。以降のコマンチェロズは多民族系のバイカーギャングであったことが窺えます。

<引用・参考文献>

*1 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』(William Marsden&Julian Sher,2007,Hodder & Stoughton), p116-119

*2 『Outlaws: Inside the Hell’s Angel Biker Wars』(Tony Thompson,2012,Hodder Paperback),p259-263

*3『OUTLAWS  THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』(Adam Shand,2013,Allen & Unwin), p187-188

*4 『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』(Thomas Barker,2014,Routledge), p114-115

*5  『THE  MAPLE SYRUP MAFIA A HISTORY OF ORGANIZED CRIME IN CANADA』(GERG THOMPSON、2014、CreateSpace Independent Publishing Platform), p18-23

*6  『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p107-110

*7  『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』(Alex Caine,2010,Vintage Canada),p154

*8  『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p86

*9  Daily Mailサイト「How new boss of Australia’s most feared bikie gang rose to lead the Comanchero – as cops welcome him to the top job by slapping him with a crime order while he smokes in a dressing gown」(Stephen Gibbs for Daily Mail Australia,2022年7月2日)

https://www.dailymail.co.uk/news/article-10967595/Allan-Meehan-takes-Comanchero-bikie-gang-Mick-Hawi-killing-Mick-Murray-murder-charge.html

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