支部の定例会議

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 バイカーギャング各支部は定例会議(meeting)をよく開催します。バイクに積極的に乗る時期には週1回、あまり乗らない時期でさえ2週間に1回開かれます(*1)。定例会議の別名は「チャーチ」(church)で、日本語に訳すと「教会」になります(*1)。バイカーギャングはキリスト教圏にあることが多く、「チャーチ」という別名から、定例会議が重要視されていることが垣間見えます。

 バイカーギャング業界では定例会議の運営方法はほぼ「共通化」されています(*1)。水曜日午後8時に定例会議は開始されることが多いです(*1)。会議開始時には、支部長による開会宣言、点呼があります(*1)。出席資格を持つ構成員以上(*2)は定例会義には必ず出席しなければなりません(*1)。3回連続の欠席は、一般的には「組織からの追放処分」の対象となります(*1)。

 会議では最初に、前回会議の議事録に関して「賛成」「反対」の採決がとられます(*1)。つまり前回会議内容の賛否を問う過程が設けられています。役職の秘書(secretary)が議事録を作成します(*3)。

 次に前回未決のビジネス案件に関して、話し合いが行われます(*1)。この話し合いにおいては、まず「支部内執行部の報告」があります(*1)。執行部は役職者や2~3人の構成員で構成されています(*1)。執行部からの報告後、一応会議参加者内で話し合いが行われますが、一般的には執行部の報告に沿った形で話はまとまります (*1)。執行部の方針には基本的に従う傾向があるようです。

 次は「ビール休憩」となります(*1)。「ビール休憩」も会議の延長で、再び支部長は開会宣言をします(*1)。ゆえに酔いすぎた場合は、罰金対象(オーストラリアの場合、一般的に約20豪ドル)となります(*1)。「ビール休憩」では、主に新しいビジネスが話し合いの対象となります (*1) 。ビールを飲みながら話し合いをする場は「定例会義の第二部」といった趣なのかもしれません。

 定例会議は「開会宣言及び点呼」→「前回会議内容の賛否を問う採決」→「未決のビジネスの話し合い」→「ビール休憩(2回目の開会宣言→新しいビジネスの話し合い)」という流れで進行しているのです。  定例会義において議題の採否は、出席構成員の投票(賛否の意思表示)によって決まります(*1)。バイカーギャングは支部運営に関しては「参加型民主主義」をとっているのです(*1)。いわば定例会議が支部の「最高意思決定機関」となっています。

 一方、日本のヤクザ組織では、トップもしくは最高実力者もしくは少人数の実力者の意思によって組織は運営されてきました。いわばヤクザ組織は専制主義をとってきました。次期トップは「トップの後継者指名」によって決定されました。後継者指名がなかった際、選挙も1つの方法と考えられたことが過去の山口組にはありました。三代目田岡一雄組長体制(1946~1981年)下(*4)の1971年、若頭・梶原清晴が事故により死亡しました(*5)。次期若頭を決めるにあたって、執行部の若頭補佐6人による「互選」がとられました(*6)。互選とは、特定の者達の間での選挙のことです。結果、山本広4票、山本健一2票により、山本広が選出されました(*6)。しかし山本健一が不満を述べ、最終的に田岡一雄組長が結果を白紙に戻し、山本健一を若頭に据えました(*6)。1981年田岡一雄組長は死去しました(*4)。翌1982年四代目組長決めに際し、有力候補の山本広は9月15日に「入れ札」(投票)実施を提案したものの、田岡一雄の妻が反対しました(*7)。当時もう1人の有力候補だった竹中正久が勾留中だったからです(*7)。田岡一雄組長が次期トップを後継指名してなかった為、入れ札による次期トップ決め自体は、妥当な方法だったと考えられます。結局入れ札は実施されることなく、田岡一雄の妻の指名により、1984年竹中正久が四代目組長に就くことになりました(*7)。山本広派は山口組を脱退、一和会を結成しました(*8)。しかし翌1985年1月竹中正久組長は一和会構成員らにより射殺され、山口組と一和会との抗争が激化していきました(*8)。五代目決めの際(候補者:渡辺芳則、中西一男)も、四代目が死去していた為、入れ札の可能性はあったと考えられましたが、中西一男の立候補辞退により、渡辺芳則が1989年五代目組長に就任しました(*9)。結局山口組は「選挙による意思決定方法」をとらなかったことが分かります。

 バイカーギャングの話に戻すと、支部は「構成員数の上限」を 24人にしています(*1)。理由は構成員数が多過ぎると、連帯感の低下、派閥の形成が生じるからです(*1)。構成員が多過ぎると、1人の構成員が全構成員と均等にコミュニケーションすることは困難になり、普段コミュニケーションしない相手が増えてきます。自ずと組織内の連帯感は低下します。また派閥の形成も進むのでしょう。ゆえに構成員数が25人になった場合、新支部の開設、つまり支部構成員の分割で解決を図っています(*1)。また構成員数が多過ぎると、定例会議の採決が面倒という側面もあるようです(*1)。当然「プロスペクツ」(Prospects)などの準構成員(*2)は正式な構成員ではない為、「上限24人」には該当しません(*1)。準構成員以下の者は定例会議の参加権及び投票権を有していません(*2)。支部としては、意思決定に関与しない準構成員が増加しても、支部運営上、特段問題がないと見なしているのかもしれません。

 大手バイカーギャングは月例の執行部会議、また年に1回の全国大会もしくは国際大会を開催しています(*1)。各支部は大会には構成員を派遣しています(*1)。

<引用・参考文献>

*1 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin), p79-81

*2 『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』(Thomas Barker,2014,Routledge), p99

*3 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』, p84

*4 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス),p18-21

*5 『山口組若頭』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p26

*6 『山口組若頭』,p32-34

*7 『山口組若頭』,p41-43

*8 『山口組の100年 完全データBOOK』,p24-25

*9 『洋泉社MOOK・山口組・50の謎を追う』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2004年、洋泉社),149-151

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