2009年3月22日のシドニー空港乱闘事件

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 オーストラリアのバイカーギャング業界において「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s  Angels)と「コマンチェロズ」(Comancheros)は長年互いを敵視してきました(*1)。緊張関係の軽減目的か、両組織間には昔から「休戦協定」がありました(*1)。一応の平和が保たれていた背景には、ヘルズ・エンジェルスがビクトリア州で強い地盤を築いており、一方のコマンチェロズはニューサウスウェールズ州に重点を置き活動していたことがありました(*1)。活動領域の「棲み分け」があった為、休戦協定が機能していたことが分かります。

 しかし時に平和が壊れた時がありました。両組織の抗争として有名なのが、2009年3月22日シドニー空港で起きた乱闘事件でした(*2)。当日メルボルン発シドニー行のある旅客便に、ヘルズ・エンジェルスにおけるシドニーのギルフォード(Guildford)エリアの支部長(Derek Wainohu:デレク・ワイノフ)(*3)とコマンチェロズトップのマフムード・“ミック”・ハウィ(Mahmoud ‘Mick’ Hawi)らが、同乗していました(*2)。コマンチェロズ側にはマフムード・“ミック”・ハウィに加えて、4人の構成員がいました(*2)。同乗に気づいたデレク・ワイノフとコマンチェロズは機内で口喧嘩を始めました(*2)。搭乗中、口喧嘩は続いた模様です(*2)。

 シドニー空港に着くと、双方すぐさま旅客機から降り、待機していた構成員らと合流しました(*2)。ともに機内でテキストメッセージにて、応援部隊を呼んでいたと思われます(*2)。両組織は空港内で乱闘に至りました(*2)。応援部隊含めたコマンチェロズ側の人数は12人、ヘルズ・エンジェルス側の人数は6人でした(*4)。乱闘の結果、ヘルズ・エンジェルス関係者のアンソニー・ザーヴァス(Anthony Zervas)が死亡しました(*2)。アンソニー・ザーヴァスは、ヘルズ・エンジェルス構成員である実兄ピーター・ザーヴァス(Peter Zervas)とともに、応援部隊としてかけつけていました(*2)。

 実兄ピーター・ザーヴァスは、デレク・ワイノフが支部長を務める支部の「衛視長」(sergeant-at-arms)でした(*2)。乱闘事件の前年(2008年)6月、刑務所帰りのピーター・ザーヴァスはシドニーのブライトン・ル・サンズ(Brighton-Le-Sands)地区で刺青店を開業しました(*3)。コマンチェロズはブライトン・ル・サンズ(シドニーのセント・ジョージ地域)を「拠点」としていました(*2)。セント・ジョージ地域はシドニーの南部郊外に位置しています。ピーター・ザーヴァスの刺青店開業を巡り、ヘルズ・エンジェルスとコマンチェロズの間で揉め事が起き、結局ピーター・ザーヴァスの刺青店は2008年10月に閉店に至りました(*3)。シドニー空港乱闘事件の前年、両組織は緊張関係にあったのです。

 シドニー空港での乱闘事件後、2009年9月までにコマンチェロズ側の12人は殺人罪で起訴されました(*2)。ヘルズ・エンジェルス側もピーター・ザーヴァスらが騒乱罪等で逮捕、起訴されました(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin), p249

*2 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』, p242-245

*3 『OUTLAWS  THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』(Adam Shand,2013,Allen & Unwin), p190-191

*4 『OUTLAWS  THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』, p195

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