オーストラリアの「ジプシー・ジョーカーズ」(Gypsy Jokers)は1969年、アメリカ合衆国系バイカーギャング「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)のシドニー支部支援の下で、結成されました(*1)。ジプシー・ジョーカーズはヘルズ・エンジェルスの組織規則を取り入れる等、ヘルズ・エンジェルスを模範とする組織運営をしていきました(*1)。
しかし後にヘルズ・エンジェルス側はジプシー・ジョーカーズに対し「解散」及び「ヘルズ・エンジェルスへの移籍」を要求しました(*1)。ヘルズ・エンジェルス側はジプシー・ジョーカーズを「西シドニー支部」にするつもりでした(*1)。
ジプシー・ジョーカーズは要求を拒否、以降ヘルズ・エンジェルスとは対立していくことになりました(*1)。
その後ジプシー・ジョーカーズは、オーストラリア西部や南部にも勢力圏を築いていきました。
1976年以降ジプシー・ジョーカーズは西オーストラリア州で活動していた同名組織と合併しました(*1)。またジプシー・ジョーカーズは南オーストラリア州の都市アデレードとマウントガンビアに進出しました(*1)。アデレードではジプシー・ジョーカーズは地元組織「マンダマズ」(Mandamas)を友好的に取り込む形で、アデレード支部を設立しました(*1)。
マンダマズの前身は「フィルシー・フュー」(Filthy Few)という組織でした(*2)。フィルシー・フューはヘルズ・エンジェルスから「フィルシー・フュー」という言葉を組織名にしないように言われたことから、マンダマズに改称しました(*2)。ヘルズ・エンジェルスは「フィルシー・フュー」という言葉を自陣の無形資産と考えていたようです(*2)。
当時のマンダマズはアデレード内で「アンダーテイカーズ」(Undertakers)、「バーベアリアンズ」(Barbarians)と対立していました(*1)。ライバル組織に対抗する目的もあり、マンダマズはジプシー・ジョーカーズの傘下に入ることに決めたのです(*1)。ちなみにライバル組織のアンダーテイカーズ、バーベアリアンズは後にヘルズ・エンジェルスの傘下に入りました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin), p69-70
*2 『OUTLAWS THE TRUTH ABOUT AUSTRALIAN BIKERS』(Adam Shand,2013,Allen & Unwin), p6
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