エフェドリン(ephedrine)は「メタンフェタミン(覚醒剤の一種)の主原料」です(*1)。1980年代中期(及び以前)のメキシコでは、エフェドリンは「規制対象の化学物質」ではありませんでした (*1)。当時、他国よりメキシコはエフェドリンを入手しやすい環境下だったのです。
隣国アメリカ合衆国において違法薬物ビジネスに関わる者達の中には、メキシコからの「エフェドリン密輸」を企む者がいました。
1980年代中期のサンディエゴ市(カリフォルニア州)において、自動車修理工のホセ・デ・ヘスス・“チュイ”・アメスクア・コントレラス(José de Jesús “Chuy” Amezcua Contreras)は、あるアメリカ人客から、エフェドリンの密輸を依頼されました(*1)。
1978年ヘスス・アメスクア(当時13歳)はメキシコのハリスコ州からアメリカ合衆国に密入国し、以来カリフォルニア州で生活していました (*2)。5年後(つまり1980年代前半)ヘスス・アメスクアは実兄と組み、密入国希望者をアメリカ合衆国に密入国させる裏稼業を始めました(*2)。ヘスス・アメスクアらが展開した密入国サービスは、メキシコから砂漠を超えさせて、サンディエゴ市に越境させるという内容でした(*2)。ヘスス・アメスクアは裏稼業の収益を元手に小さい自動車修理店を立ち上げました(*2)。
アメリカ人客からエフェドリンの密輸を依頼された1980年代中期、ヘスス・アメスクアは「雇われ修理工」ではなく、「自動修理店オーナー兼修理工」であったことが推測されます。またアメリカ人客は、ヘスス・アメスクアの「自動修理工」としてのスキルではなく、「密入国事業者」としてのスキルを見込んで、エフェドリン密輸を依頼したと考えられます。
依頼を受けたヘスス・アメスクアらは、ティファナ(メキシコの街)からアメリカ合衆国にエフェドリンを密輸しました(*1)。ヘスス・アメスクアらはエフェドリンの密輸を通じて、メタンフェタミン密売の高い収益性を発見しました(*2)。
1980年代後半以前のアメリカ合衆国では、バイカーギャングや独立系密売人がメタンフェタミン密売ビジネスを担っていましたが、1980年代後半になると両者の競争力は低下していきました(*2)。1987年大手バイカーギャング「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)の最高実力者ラルフ・“ソニー”・バージャー(Ralph “Sonny” Barger)が逮捕され、同時にヘルズ・エンジェルスのメタンフェタミン密造者らも検挙されました(*3)。
ヘルズ・エンジェルスはカリフォルニア州を本拠地としてきました。密造者数の減少で、1987年以降、カリフォルニア州におけるヘルズ・エンジェルスのメタンフェタミン密造ビジネスが停滞していったことが推測されます。密造の停滞は「供給力の低下」を意味し、ヘルズ・エンジェルスの密売力の低下につながったと考えられます。
当時のメタンフェタミン市場における競合者の弱さを踏まえた上で、ヘスス・アメスクアらはエフェドリン密輸事業つまり原材料密輸事業からの脱却を図ったのでした。
エフェドリン密輸報酬を元手にヘスス・アメスクアらは、出身地のハリスコ州(メキシコ中部)で、1993年からメタンフェタミンを密造し始めました(*1)。ヘスス・アメスクアらは、密造メタンフェタミンをアメリカ合衆国に密輸しました(*2)。ヘスス・アメスクアらのメタンフェタミン事業は、密造から密輸までと幅広く手掛けており、「垂直統合型」のビジネスモデルだったといえます。ヘスス・アメスクアらのメタンフェタミン密造集団の別名は「コリマ・カルテル」(Colima Cartel)でした(*2)。
コリマ・カルテルはメタンフェタミン製造の為に、エフェドリンを大量に発注しました(*1)。当初の発注先はインド、タイ、ヨーロッパなどでした(*2)。タイではヘスス・アメスクアが現地で会社を設立、6週間ごとに1.5~2トンのエフェドリンをタイからメキシコシティに航空輸送にて密輸するルートを構築しました(*2)。ヨーロッパではヘスス・アメスクアはフェイズ・アフマド・アミール(Fayez Ahmad Amir)と提携しました(*2)。フェイズ・アフマド・アミールはヨーロッパの「エフェドリン供給業者」でした(*2)。
コリマ・カルテルは密造収益を、新たな密造拠点(密造工場、フロント会社)作りの投資に回しました(*1)。コリマ・カルテルは、密造事業を拡張させていったのです。
2003年コリマ・カルテルは、上海出身の中国人移民ゼンリ・イェ・ゴン(Zhenli Ye Gon)から、大量のエフェドリン等を仕入れることにしました(*1)。ゼンリ・イェ・ゴンは2002年にメキシコ国籍を取得していました(*1)。2005年までにゼンリ・イェ・ゴンはエフェドリン等を、メキシコ南部の「ティエラ・カリエンテ」と呼ばれるエリアを経由し、ハリスコ州の密造工場に送っていたと見られています(*1)。
コリマ・カルテルの「事業パートナー」として、ミレニオ・カルテル(Milenio Cartel)がいました(*4)。ミレニオ・カルテルは、ミチョアカン州(ハリスコ州の南隣に位置する)を拠点に活動していました(*1)。1998年以降のミレニオ・カルテルはコリマ・カルテルから大量のアンフェタミンを購入し、ミチョアカン州のアパツィンガン経由でアンフェタミンを密輸していました(*4)。アンフェタミンも覚醒剤の一種で、効能においてはメタンフェタミンより劣ります(*5)。アンフェタミンをミレニオ・カルテルに販売していたことから、コリマ・カルテルはアンフェタミンも密造していたことが分かります。
2006年頃コリマ・カルテルは十分に収益を上げたことから、密造設備の大半をミレニオ・カルテルに売却しました(*1)。また同時期にコリマ・カルテルは消滅しました(*2)。しかしミレニオ・カルテル側はすぐにシナロア・カルテル(Sinaloa Cartel)側に密造設備の大半を譲ってしまいました(*1)。
2007年以降メキシコのメタンフェタミン密造ビジネスでは、シナロア・カルテルが仕切るようになりました(*1)。シナロア・カルテルは錠剤型のメタンフェタミンを作り、ヨーロッパやアジアに密輸していきました(*1)。
他地域ではシナロア・カルテル以外の組織も錠剤型のメタンフェタミンを密造していました。東南アジアでは「ヤーバ」(yaba)という名の錠剤型メタンフェタミンが流通しました(*6)。また戦時中(1940年代前半)の日本では「猫目錠」とう名の錠剤型メタンフェタミンが流通していました(*7)。また同時期「突撃錠」という名の錠剤(玉露の粉にメタンフェタミンを加えたもの)も流通していました(*7)。
また結晶性メタンフェタミンに関してはハリスコ新世代カルテル(旧ミレニオ・カルテル一派の後継組織)がアメリカ合衆国における結晶性メタンフェタミンの「主要供給源」と見なされています(*8)。ハリスコ新世代カルテルは結成(2010年)当初、「シナロア・カルテルの庇護下」のもとで活動していました(*8)。
<引用・参考文献>
*1 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p223-224
*2 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p77-79
*3 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』(William Marsden&Julian Sher,2007,Hodder & Stoughton), p58-59
*4 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p225
*5 オーストラリア犯罪情報委員会サイト内「違法薬物データレポート(Illicit Drug Data Report)2019–20」(2021), p34
https://www.acic.gov.au/sites/default/files/2021-10/IDDR%202019-20_271021_Full_0.pdf
*6 UNODC(United Nations Office on Drugs and Crime)サイト「Transnational Organized Crime in East Asia and the Pacific A Threat Assessment」(2013),p61
https://www.unodc.org/roseap/uploads/archive/documents/Publications/2013/TOCTA_EAP_web.pdf
*7 『<麻薬>のすべて』(船山信次、2019年、講談社現代新書),p142
*8 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p186
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