コカインビジネスに最も早く成功したのは、南米コロンビアの麻薬組織でした。コロンビアではカウカ県南部にて1969年に初めてコカインが精製されました(コロンビアでコカインが初めて「密造」されたという意味です)(*1)。1855年ドイツ人科学者がコカインを発見したとされ、コカイン自体は古くからあったのです(*2)。コカイン密造に成功したコロンビア麻薬組織は、1970年代前半からアメリカ合衆国にコカインを供給していきました(*3)。
図 コロンビアの地図(出典:Googleマップ)
コカインの原料は、植物のコカ葉です(*3)。コカ葉は加工及び精製過程を経た後、コカインに生まれ変わります(*2)。コカ葉は年に3回収穫されます(*4)。しかし収穫後48時間以内に乾燥させなければ、コカ葉の色は変色してしまい、商品価値を落としました(*4)。まずコカ葉は乾燥された後(*4)、「パスタ状」に加工されました(*2)。パスタ状のものは「コカ・ペースト」とも呼ばれます。
コカ・ペースト1kgを製造するには、コカ葉200kgが必要でした(*2)。逆に言えば「コカ葉200kg」から「コカ・ペースト1kg」が造れたのです。輸送面から考えると、「コカ葉200kg」を運ぶより、「コカ・ペースト1kg」を運ぶ方が断然輸送効率に優れています。また「コカ・ペースト1kg」からは「コカイン1kg」が造られました(*2)。つまりコカ葉1トン(1,000kg)で「5kgのコカイン」が生産されます(*3)。ちなみに1ヘクタール(100m×100m)の栽培地では、コカ葉は2.3トンとれます(*3)。つまり1ヘクタールのコカ葉栽培地は「11.5kgのコカイン」を生み出す可能性があるのです。
南米の主なコカ葉栽培地はペルー、ボリビア、エクアドル、コロンビアの4カ国でした(*3)。当初コロンビア以外の3カ国は「コカ葉」をコロンビアの精製工場に出荷していました (*3)。先述したように、コカ葉→コカ・ペーストの過程で、重量が大幅に減少します。輸送効率から考えると、「コカ葉の形態」よりも「コカ・ペーストの形態」でコロンビアに運ぶ方が断然良いです。
実際ボリビアからコロンビアまで小型飛行機でコカ・ペーストを密輸していた事例がありました(*5)。ゆえにコカ葉栽培地はコロンビアに、乾燥コカ葉で出荷するのではなく、主にコカ・ペーストにして出荷していたと考えられます。もちろん乾燥コカ葉で出荷されていた可能性も否定できません。以降は栽培地からコロンビアへの出荷物を「コカイン中間製品」と記していきます。
先述のようにペルー、ボリビア、エクアドルの3カ国は「コカイン中間製品」をコロンビアの精製工場に出荷していました。コロンビアは「コカイン中間製品の卸売市場」の役割を果たしていたのです。つまりコロンビアは「コカイン中間製品の集荷力」に長けていたことが考えられます。
コロンビア麻薬組織は3カ国からコカイン中間製品を安く仕入れ、コカインに精製、アメリカ合衆国の違法薬物市場に供給しました(*6)。「コロンビア産コカイン」はアメリカ合衆国では高値で売れました(*6)。コロンビア麻薬組織による「コロンビア産コカイン」ビジネスは、コロンビアの一国完結型生産体制ではなく、国際的生産ネットワークによって成立していたのです。
コロンビア産コカインビジネスにおいて、コロンビア産コカインは「最終的製品」でした。コカイン中間製品を安く仕入れる一方でコカインを高く売っていたことから、「中間製品」から「最終的製品(コカイン)」の変身過程で価値が増大していたことが分かります。ゆえにペルー、ボリビア、エクアドルの3カ国はコカインビジネス上では「コロンビ麻薬組織の下請け」に過ぎなかったと考えられます。
コロンビア麻薬組織のように、当時3カ国の麻薬組織が「コカイン中間製品の強い集荷力」「コカイン製造(精製)体制」「アメリカ合衆国への密売ルート」を備えていたら、コロンビア麻薬組織が栄えることはなかったのかもしれません。
しかし1990年代コロンビア麻薬組織は退潮していきました。1993年12月2日コロンビア主要麻薬組織メデジン・カルテルのリーダー格であるパブロ・エスコバルがメデジン市内で警察特殊部隊に射殺されました(*7)。パブロ・エスコバルの死亡後、メデジン・カルテルは衰退の一途をたどっていきました(*7)。
メデジン・カルテルと並ぶコロンビアの主要麻薬組織だったカリ・カルテルでは1995年最高幹部らの逮捕及び自首により、組織内の統制が揺らいでいきました(*8)。最高幹部らの社会不在により、カリ・カルテル内での指揮系統が充分に機能しなくなったことが背景にあると考えられます。結果、カリ・カルテルのコカインビジネスの利益は減少しました(*9)。
コロンビア麻薬組織の弱体化を見て、メキシコのフアレス・カルテルは「中抜き」(コロンビア抜かし)を図りました。1995年以前のメキシコ麻薬カルテルにとって、コカインの主な仕入れ先は「コロンビア麻薬組織」でした(*6)。両者の間では、コロンビア麻薬組織が「コカインの元売り」、メキシコ麻薬カルテルが「卸売り」という関係が確立していました。メキシコ麻薬カルテルがボリビア等のコカ葉生産国の業者と直接取引することは「ご法度」だったのです。
1995年フアレス・カルテルのリーダーであるアマド・カリージョ・フエンテス(Amado Carrillo Fuentes)は、ボリビアのコカ葉主要栽培者のルイス・アマド・パチェコ(Luis Amado Pacheco)と手を結び、ボリビアから直接コカイン84トンを仕入れました(*9)。コカインはボリビアから飛行機でメキシコまで運ばれました(*9)。「元売り」を抜かすことでフアレス・カルテルはコカインの仕入れ費を安く抑えることができます。一方のボリビア側は直接取引に応じたことで、コロンビアよりもフアレス・カルテルにコカインを「高く」売ることができたと考えられます。
後に「コロンビア抜かし」を知ったカリ・カルテルは激怒しました(*9)。しかしフアレス・カルテルがカリ・カルテルに「新しい取り決め」を提案し、その取り決めが採用されたことで、両者は和解しました(*9)。
新しい取り決めにより、カリ・カルテル担当領域は「メキシコへのコカイン輸送」、フアレス・カルテル担当領域は「アメリカ合衆国への輸送」及び「アメリカ合衆国内の流通」となったと考えられています(*9)。カリ・カルテルは、メキシコまでコカインを輸送した際、代金として現金を受け取ったと考えられています(*9)。
加えてフアレス・カルテルには、ボリビアやペルーのコカイン業者との直接取引も「許可」されたと考えられています(*9)。結局カリ・カルテルは「フアレス・カルテルの直接取引」を容認したと考えられます。
カリ・カルテルにとって、直接取引を認めなかった場合に起きうるフアレス側の報復(コロンビア産コカインの仕入れ拒否)が懸念されたのでしょう。カリ・カルテルは「既存のメキシコ麻薬カルテル供給分」を守る為に、直接取引(コロンビア抜かし)を容認せざるを得なかったのでしょう。
またコロンビア麻薬組織の密輸手段についても見てみましょう。1980年代初めメデジン・カルテルは、プロペラ機等の飛行機でコロンビア北岸からアメカ合衆国のフロリダ州沿岸まで直接コカインを輸送していました(*10) (*11)。メデジン・カルテルはコカインを航空輸送していたのです。
コロンビアの北隣はパナマです。コロンビア-パナマ間の陸路は未整備でした。パンアメリカン・ハイウェイ(南北のアメリカ大陸をつなぐ幹線道路)はパナマのダリエン県ヤビサで途切れています(*12)。ヤビサからコロンビアまでは密林があります(*12)。ダリエン県からコロンビアまでまたがる密林地帯は「ダリエン地峡」(または「ダリエン・ギャップ」)と呼ばれます(*12)。
当初パンアメリカン・ハイウェイはコロンビアまで開通する予定でしたが、当時、南米大陸で口蹄疫が流行したことで、コロンビアまでの道路建設計画はなくなりました (*12)。
しかしコロンビア-パナマ間の密林(ダリエン地峡)内には「多数の密輸経路」が形成され、コカインがコロンビアからパナマに陸路で運ばれました(*13)。合法領域におけるコロンビア-パナマ間の陸路は未整備だったものの、違法領域におけるコロンビア-パナマ間の陸路は「整備」されていたのです。
ダリエン地峡内の運搬手段の1つとしては、「荷担ぎ」がありました(*14)。ダリエン地峡を越える際、運び屋20人以上が一団となりました(*14)。各運び屋はバックパック(リュック)を背負い、コカインをパナマまで運びました (*14)。
コロンビアの左翼ゲリラ組織「FARC第57戦線」(FARC 57th Front)は、ダリエン地峡を活動領域としてきました(*15)。FARC第57戦線は、1990年代FARC(Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia)の北西ブロックの組織として立ち上げられました(*15)。
FARCは1958年、コロンビア共産党の軍事部門として結成されました(*16)。1966年FARCは組織名を公表していきました(*17)。
FARC兵士の90%は地方農民でした(*17)。またFARC兵士の30%は女性でした(*17)。1970年代初めFARCの兵士数は約1,000人、1980年代終わりの兵士数は約4,000人、2000年代初めの兵士数は16,000~18,000人でした(*17)。FARCの勢力は拡大していったことが分かります。また2000年代初めFARCは75の戦線を持っていました(*17)。
FARCにとって、ブラジルのアウトロー組織「レッド・コマンド」(Red Commando)は、銃器の仕入れ先でした(*18)。レッド・コマンドは南米の汚職軍人から銃器を購入し、FARCに供給していました(*18)。南米の汚職軍人→レッド・コマンド→FARCの経路で、銃器が流れていっていたのです。FARCは銃器の代金として、コカインをレッド・コマンドに提供しました(*18)。
FARCの指導者はマヌエル・マルランダでした(*17)。マヌエル・マルランダは2008年病気により死去しました(*17)。
FARC第57戦線は、コロンビアやメキシコの麻薬組織と手を組み、違法薬物ビジネスで収益を上げていました(*15)。FARC第57戦線はダリエン地峡経由でコカインをパナマ側に密輸していました(*15)。
FARC第57戦線はダリエン地峡の先住民を「運び屋」や「案内役」として使っていました(*15)。先住民の運び屋は、徒歩や小型ボートを移動手段とし、ダリエン地峡内でコカインを運びました(*15)。
FARC第57戦線は密輸に加えて、ダリエン地峡で「コカ葉の栽培」「コカインの製造」もしていました(*15)。またダリエン地峡における「パナマ→コロンビア」の経路においてFARC第57戦線は武器をコロンビア側に運んでいました(*15)。
FARCは2016年、コロンビア政府と交渉の結果、「動員解除」に応じることになりました(*19)。
またコロンビア麻薬組織は、違法薬物の輸送手段として、半潜水艇を用いてきました(*20)。水面下に沈む潜水艦と異なり、半潜水艇の一部は水面上にあります。コロンビア麻薬組織の半潜水艇は、特注で造られていました (*20)。
その半潜水艇はメキシコの沖に着くと、その沖までやってきた高速船に違法薬物を積み替え、そして高速船は海岸まで運んでいったと考えられています(*20)。
2008年7月16日オアハカ南西の海岸から120マイル(約192km)離れた海上で、全長33フィート(約9.9m)の麻薬半潜水艇が見つけられました(*20)。その半潜水艇はゆっくりと航行していました(*20)。メキシコ海軍の特殊部隊がヘリコプターで駆け付け、半潜水艇にいた4人を逮捕しました(*20)。その後、巡視船がその半潜水艇をワトゥルコ(オアハカ州)までけん引しました(*20)。5.8トンのコカインが、その半潜水艇から押収されました(*20)。その半潜水艇は5.8トンのコカインを輸送していたのです。
<引用・参考文献>
*1 『コロンビア内戦 ― ゲリラと麻薬と殺戮と』(伊高浩昭、2003年、論創社), p112
*2 『コロンビア内戦 ― ゲリラと麻薬と殺戮と』, p113
*3 『コロンビア内戦 ― ゲリラと麻薬と殺戮と』, p106-107
*4 『エリア・スタディーズ54 ボリビアを知るための73章 【第2版】』「コカとアンデス高地農民の生活」(国本伊代、2013年、明石書店),p191-192
*5 『エリア・スタディーズ54 ボリビアを知るための73章 【第2版】』「コカ経済の盛衰 伝統作物から麻薬原料のコカ栽培へ」(国本伊代・岡田勇、2013年、明石書店),p186-190
*6 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p75
*7 『コロンビア内戦 ― ゲリラと麻薬と殺戮と』, p195
*8 『コロンビア内戦 ― ゲリラと麻薬と殺戮と』, p213-215
*9 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p76
*10 『コカイン ゼロゼロゼロ 世界を支配する凶悪な欲望』(ロベルト・サヴィアーノ著、関口英子/中島知子訳、2015年、河出書房新社), p173-174
*11 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳、2014年、現代企画室), p94
*12 『エリア・スタディーズ42 パナマを知るための70章【第2版】』「21世紀の「ダリエン・ギャップ」 周縁部から見える現代世界」(近藤宏、2018年、明石書店),p262-265
*13 『エリア・スタディーズ42 パナマを知るための70章【第2版】』「麻薬の交差点 欧米の闇市場に向かうアンデス・コカインの通過地点」(国本伊代、2018年、明石書店),p234-237
*14 InSight Crimeサイト「What Lockdown? World’s Cocaine Traffickers Sniff at Movement Restrictions」(The Organized Crime and Corruption Reporting Project (OCCRP),2020年5 月26日)
https://insightcrime.org/news/analysis/world-cocaine-traffickers-lockdown/
*15 InSight Crimeサイト「FARC 57th Front in Panama」(InSight Crime,2016年11 月4日)
https://insightcrime.org/panama-organized-crime-news/farc-57th-front-in-panama/
*16『エリア・スタディーズ52 アメリカのヒスパニック=ラティーノ社会を知るための55章』「麻薬テロリズム-左翼テロ組織「FARC」の実態」(大泉光一、2020年、明石書店),p173
*17『エリア・スタディーズ90 コロンビアを知るための60章』「反政府ゲリラ 戦い続けて半世紀」(二村久則、2019年、明石書店),p178-184
*18 『Blood Gun Money: How America Arms Gangs and Cartels』(Ioan Grillo,2021,Bloomsbury Publishing Plc),p273
*19 InSight Crimeサイト「10th Front – Ex-FARC Mafia」(InSight Crime,2022年1月18日)
https://insightcrime.org/colombia-organized-crime-news/10th-front-ex-farc-mafia/
*20 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p254
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