南アフリカでは20世紀前半から刑務所ギャングが活動していました(*1)。有名な刑務所ギャングとしては「26s」「27s」「28s」の3団体がおり、3団体は「ナンバーギャング」(Number gangs)と総称されてきました(*1)。
刑務所内ではナンバーギャング構成員は「ンドタ」(ndotas)と呼ばれ、ナンバーギャング構成員ではない者は「フランズ」(franse)と呼ばれました(*1)。ンドタとフランズは「支配-被支配関係」にあり、フランズには「ンドタの召使い」としての役割が与えられました(*1)。またフランズは、刑務所内で物の取引をする際、ンドタの許可を得る必要がありました(*1)。
26s、27s、28sの源流は「ニネヴァイツ」(Ninevites)でした(*1)。ニネヴァイツは1910年代中頃まで活動した組織で、ヨハネスブルクを拠点に主に強盗や略奪を資金獲得源としていました(*1)。最盛期のニネヴァイツは約1,000人の構成員を擁していました(*1)。ニネヴァイツの構成員は主に、故郷を捨て、鉱山の街において白人オーナーの下で働くことも拒否したアフリカ系の若者達により担われていました(*1)。ニネヴァイツはいわば「ルンペンプロレタリアート」の集団でした(*1)。
ニネヴァイツは、ヨハネスブルクの鉱山や刑務所の収容者を支配下に置いていました(*1)。つまりニネヴァイツは「強盗団」に加えて、鉱山や刑務所内の「統率役」としても活動していたのです。
ニネヴァイツを率いていのが、ズールー移民の“ノンゴローザ”・マセブラ(“Nongoloza” Mathebula)でした(*1)。1910年代中頃ニネヴァイツは壊滅しましたが、二ネヴァイツの派生組織は1930年代前半までに南アフリカ中の刑務所を影響下に置きました(*1)。
南アフリカでは1948年から政権与党の国民党がアパルトヘイトを実施していき、人種差別が強化されていきました(*2)。
また南アフリカではストリートギャングも活動していました。「アメリカンズ」(Americans)と「ハード・リビングズ」(Hard livings)は、南アフリカの大都市ケープタウンにおける二大ストリートギャングでした(*3)。両組織とも、ケープタウン内の南東部(ケープフラッツ)に拠点を置いていました(*3)。
<引用・参考文献>
*1 Jonny Steinberg.(2004). Nongoloza’s Children:Western Cape prison gangs during and after apartheid. Centre for the Study of Violence and Reconciliation.
http://www.csvr.org.za/docs/correctional/nongolozaschildren.pdf
*2 『ネルソン・マンデラ - 分断を超える現実主義者』(堀内隆行、2021年、岩波新書),p34-35
*3 『Encyclopedia of Gangs』「South African Gangs」(Tony Roshan Samara,2008,Greenwood Press), p222-226
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