ユーゴスラヴィア紛争以後のバルカン半島における武器取引

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 1990年代のユーゴスラヴィア紛争により、バルカン半島では大量の武器が「政府の手」から違法領域に放出されていきました(*1)。元々、旧ユーゴスラヴィア(正式名称:ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国)はヨーロッパの中でも大量の武器を保有していました(*1)。背景には旧ユーゴスラヴィアが1969年から対ソ連防衛戦略の「全人民防衛体制」をとっていたことがありました(*2) (*3)。全人民防衛体制の下、旧ユーゴスラヴィアの行政単位ごとに武器が保管されていました(*2)。

 ユーゴスラヴィア紛争とは、旧ユーゴスラヴィア解体で生じた複数の紛争の総称です。1991年からユーゴスラビ紛争は始まりました(*4)。紛争開始後、各地の武器保管庫から武器が準軍事組織や民兵組織側に渡っていきました(*1)。国際社会は1992年旧ユーゴスラヴィアを構成していた6つの共和国(セルビア、クロアチア、スロヴェニア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)に対し武器禁輸制裁を科しました(*1)。

 しかし禁輸制裁はセルビアだけには効きませんでした(*1)。背景にはセルビアが旧ユーゴスラヴィアにおける軍隊や武器を支配下に置いていたことがありました(*1)。旧ユーゴスラヴィアの自動車製造会社ツルヴェナ・ザスタヴァ社(Zavodi  Crvena zastava)は軍需企業の顔も持っていました(*3)。ザスタヴァ社は主に旧ソ連や西側の軍需企業からライセンスを得て、主に小火器を製造していました(*3)。「ソ連のカラニシコフ式自動小銃」をもとにザスタヴァ社が作った自動小銃としては「ザスタヴァ M70」がありました(*3)。ザスタヴァ社はセルビア中部のクラグイェヴァツに拠点を置き、ユーゴスラヴィア解体後は「ザスタヴァ・アームズ」(Zastava Arms)に改称しました(*3)。ザスタヴァ・アームズ社はセルビアの軍需企業として活動していきました(*3)。ザスタヴァ社のような軍需企業がセルビア側にはあったのです。

 一方、対セルビア側のクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソボには武器禁輸制裁効果が発揮されました(*1)。結果クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソボは武器確保の為に、外国政府や非政府組織と関係を形成することに努めていきました(*1)。非政府組織の中にはアウトロー組織もいたと推測されます。

 1944~1985年の間、共産主義体制下のアルバニアを率いていたエンヴェル・ホッジャ(Enver Hoxha)は、武器供給と強力な軍隊を重要視していました(*1)。共産主義体制終了後、アルバニア国内では大量の武器が流通しました(*1)。政府管轄の武器庫から違法に「流出」したと推測されます。さらには1997年「ネズミ講の崩壊」時には、少なくとも3万8千丁の拳銃、22万6千丁のカラシニコフ式自動小銃、2万5千丁のマシンガン、2千4百基の対戦車ロケット弾、350万個の手榴弾、3,600トンの爆薬が「消えて」しまったのです(*1)。おそらく政府管轄の武器庫から消えてしまったことを指しているのだと考えられます。アルバニアから消えた武器は、おそらく旧ユーゴスラヴィア紛争で用いられたと思われます。

 2000年代のバルカン半島では武器が回収されていき、マケドニア(現在の国名は北マケドニア)では2003年から2007年半ばまでに約2万個の武器が破壊されました(*5)。しかしマケドニア人口約200万人のうち15%以上(約33万人)がまだ武器を所有しており、またそのうちの17万人は武器を違法所有していたのでした(*5)。

 2007年11月マケドニア警察はマケドニア西部の村で大量の武器と弾薬を押収しました(*1)。武器や弾薬はトーチカ(鉄筋コンクリート製の防御陣地)に隠されていました(*1)。同年10月にはマケドニア警察はアルバニア人8人を逮捕しました(*1)。容疑者8人は棺に武器や弾薬等を隠し、その棺を馬に載せて運んでいました(*1)。つまり8人は密輸を図っていたのです。

 コソボにおいても同様で、コソボ組織犯罪対策局副局長のハシ・クラスニキは大量の武器がコソボの人々の手に残っていることを述べていました(*5)。

 また当時、武器の違法取引に長けた人材がアルバニアには沢山いました。アルバニア共産主義体制下の秘密警察「シグリミ」(Sigurimi)は1991年(同年アルバニアの共産主義体制崩壊)(*6)廃止されたことで、約1万人のスパイが失業してしまいました (*1) 。シグリミの元スパイは人的ネットワークを有し、武器取引のノウハウも持っていた為、武器の違法取引で暗躍したと見られています(*1)。

 シグリミに関しては、1960年代からイタリアのアウトロー組織とともに「煙草の密輸ビジネス」をしていたことが明らかになっています(*7)。両者の結びつきは、当時の独裁者エンヴェル・ホッジャを含めたアルバニア政府により支持されていました(*7)。アルバニア側では特殊部隊「101K」が煙草密輸ビジネスの実行役を務めていました(*7)。

 101Kはラッシュブル(Rrushbull)村に拠点を置き、アルバニアの国境警察職員により構成されていました(*7)。ラッシュブル村は、ドゥラス(Durrës)港から約5km離れたところに位置しています。101Kの業務は、ラッシュブル村で密輸用煙草の保管及び監視、密輸煙草を船積みした船がドゥラス港から出港するのを見守ることでした(*7)。

 アルバニアの元副大臣ムスタファラジ・イリル(Mustafaraj Ilir)の報告によると、1960年代後半イタリアのアウトロー組織は年間で2,200万ドルを現金でアルバニア政府に払っていました(*7)。つまりアルバニア政府にとって密輸煙草ビジネスの「年間売上」は2,200万ドルであり、イタリアのアウトロー組織にとって密輸煙草の「年間仕入れ費」は2,200万ドルであったのです。イタリアのアウトロー組織から支払われた2,200万ドルは、アルバニアの国家予算に計上され、または一部は内務省の予算となりました(*7)。以上からイタリアのアウトロー組織はアルバニアの101Kから密輸煙草を仕入れ、密売していたことが分かります。

<引用・参考文献>

*1 『Decoding Albanian Organized Crime Culture,Politics,and Globalization』(Jana Arsovska,2015, University of California Press), p215-217

*2 『ユーゴスラヴィア現代史 新版』(柴宜弘、2021年、岩波新書), p184-185

*3 『自主管理社会趣味Vol2 アイラブユーゴ 2 ユーゴスラヴィア・ノスタルジー男の子編』「自動車メーカー「ザスタヴァ」社製のカラシニコフ銃がイラクなど非同盟諸国に広まる」(鈴木健太、2014年、社会評論社), p34-35

*4 『ユーゴスラヴィア現代史 新版』, p176

*5 『Decoding Albanian Organized Crime Culture,Politics,and Globalization』, p218-219

*6 『Decoding Albanian Organized Crime Culture,Politics,and Globalization』, p29

*7 『Decoding Albanian Organized Crime Culture,Politics,and Globalization』, p25-26

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