イタリアのアウトロー組織の1つ「バジリスキ」(Basilischi)は、イタリア南部のバジリカータ(Basilicata)州を拠点に活動してきました(*1)。バジリスキの正式名称は「ファミリア・バジリスキ」(Famiglia Basilischi)です(*1)。バジリカータ州は西部のポテンツァ県、東部のマテーラ県の2県で構成されています。バジリカータ州は別名「ルカニア」(Lucania)とも呼ばれます。
またバジリカータ州は「3州」に囲まれています。バジリカータ州の西にはカンパニア州、北から東にはプッリャ州、南にはカラブリア州が位置しています。カンパニア州は「カモッラ」(Camorra)、プッリャ州は「サクラ・コロナ・ウニタ」(Sacra Corona Unita)、カラブリア州は「ンドランゲタ」(‘Ndrangheta)の本拠地です(*1)。
図 バジリカータ州の地図(出典:Googleマップ)
バジリスキ登場の前には「ヌオヴァ・ファミリア・ルカーナ」(‘Nuova Famiglia Lucana)という組織が活動していました(*1)。ヌオヴァ・ファミリア・ルカーナは日本語に直すと「新しいルカニアの家族」という意味になります。ヌオヴァ・ファミリア・ルカーナは「地元グループの統一団体」として1991年の終わり頃に結成されたようです(*1)。ヌオヴァ・ファミリア・ルカーナは組織作りにおいて、ンドランゲタやサクラ・コロナ・ウニタを見本としました(*1)。
ヌオヴァ・ファミリア・ルカーナ結成前のバジリカータ州では、地元アウトローグループが個別に活動しているだけで、個々のグループが集結して統一団体を作ることはなかったです(*1)。またバジリカータ州のグループは、ンドランゲタ等の他団体の実質「下部組織」として活動していました(*1)。
ヌオヴァ・ファミリア・ルカーナは統一団体であったものの、他団体の影響下に置かれていました(*1)。ヌオヴァ・ファミリア・ルカーナは組織運営において、充分な主体性を持てなかったのです。
ンドランゲタはバジリカータ州のグループに対し、組織運営に必要な慣例や規則を指南しました(*1)。ンドランゲタは「指導教官」の役割を担っていたのです。1960~1970年代イタリア政府はアウトロー組織対策として「有罪判決を受けた構成員」に対し本拠地以外の土地に移住させました(*1)。しかし移住策には副作用が伴いました。構成員移住先の土地に対し、アウトロー組織は進出していったのです(*1)。ンドランゲタも1960~1970年代、各地に進出していったと考えられます。
1994年ジョバンニ・ルイジ・コセンティーノ(Giovanni Luigi Cosentino)はンドランゲタから許可を得た上で、新たな統一団体として「バジリスキ」を結成しました(*1)。ヌオヴァ・ファミリア・ルカーナに比し、バジリスキは主体性を持っており、ンドランゲタ等から独立を果たしたのです(*1)。ちなみに1994年というのは、カラブリア州ではジョイア・タウロ港が整備された年で、以降ジョイア・タウロ港は地中海において重要な港湾になっていきました(*2)。
結成時ジョバンニ・ルイジ・コセンティーノは服役中でした(*1)。服役理由は、ジョバンニ・ルイジ・コセンティーノが売春組織の運営で有罪判決を受けていたからです(*1)。バジリスキ結成後は、ジョバンニ・ルイジ・コセンティーノは刑務所内から指示を出していました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 Anna Sergi.(2012). Fifth column:Italy’s Basilischi mafia crime group re-emerges. Jane’s Intelligence Review, June, p40-41
*2 『港湾』2003年5月号「World watching36 地中海の国際トランシップ港 ジョイア・タウロ港とマルタフリーポート」(片岡真二), p50-51
https://www.phaj.or.jp/distribution/lib/world_watching/Europe/Europe019.pdf
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