ロシアにおける代表的なバイカーギャングとしては「ナイト・ウルブス」(Night Wolves)があります(*1)。2004年アメリカ合衆国系のバイカーギャング「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)はナイト・ウルブスの一派を取り込む形でモスクワに仮支部(prospect chapter)を設立し、ロシア進出を果たしました(*1)。
ヘルズ・エンジェルスはヨーロッパに昔から進出しており、1977年オランダ・アムステルダムで地元組織を吸収し、仮支部を設立しました(*2)。1980年にはヘルズ・エンジェルスはスカンジナビアで初の支部をコペンハーゲンに開設しました(*3)。2000年には中欧チェコの首都・プラハにヘルズ・エンジェルス支部が設立されました(*1)。ヘルズ・エンジェルスが「東方拡大」していった結果、2004年モスクワに至ったことが分かります。
ナイト・ウルブスは、メタルヘッズ及びバイカー達の緩い集まりとして、1980年代のモスクワで結成されました(*4)。結成当初ナイト・ウルブスは「反体制」を志向していましたが、後に愛国主義な組織になり、またロシアの政権と関係を構築していきました(*5)。ナイト・ウルブスは体制派に「転向」したといえます。
ナイト・ウルブスはバイカークラブの活動以外に、営利事業や非営利活動も行ってきました(*5)。主な営利事業としては、ナイトクラブや刺青店(tattoo shops)の営業、商品販売がありました(*5)。ナイト・ウルブスは「ウルフ・ホールディングス」(Wolf Holdings)なる営利法人を作り、先述の営利事業の会社をその傘下に収めていきました(*5)。ウルフ・ホールディングスはいわゆる「持ち株会社」だったと考えられます。
ウルフ・ホールディングス自身は警備、特殊訓練提供の事業を展開していました(*5)。ウルフ・ホールディングスの警備会社は10の事業所を擁し、特殊訓練提供の会社はロシア、ヨーロッパ、アジアに計17の訓練センターを設けていました(*6)。訓練センターでは現地の特殊部隊員や警察職員、軍人、一般人に対してシステマ(ロシアの武術)や射撃訓練等が教えられていました (*7)。
一方ナイト・ウルブスの方は非営利活動を担いました。ナイト・ウルブスは組織内に非営利活動団体の「青年部」「ロシア・モーターサイクル協会」を抱えていました(*6)。
バイカーギャングの活動においては、2016年までにナイト・ウルブスはチェチェンからセルビアまでの地域に51支部を設けました(*5)。ナイト・ウルブスの組織体系としては、まず「1次団体ナイト・ウルブス」があり、その下に「各支部」「青年部」「ロシア・モーターサイクル協会」が置かれていました(*6)。
ナイト・ウルブス全体の構成員数は、2019年時点で約5,000人でした(*5)。一般的にバイカーギャングの世界では1支部の構成員数の上限は24人とされています(*8)。単純に全構成員数5,000人(2019年時点)を51支部(2016年時点)で割ると、1支部あたり約98人となってしまいます。ナイト・ウルブスの場合、支部以外の部門(青年部等)のメンバーも構成員数に含めているのか、準構成員も数に含めているのか、それもと1支部あたりの構成員数24人以上を許容しているのか等が考えられます。
ナイト・ウルブスのトップはアレクサンダー・ザルドスタノフ(Alexander Zaldostanov)です(*5)。2018年時点でアレクサンダー・ザルドスタノフは、ナイト・ウルブスのモスクワ支部オーナーも兼任していました(*9)。
アレクサンダー・ザルドスタノフは「外科医」(Surgeon)とも呼ばれています(*4)。アレクサンダー・ザルドスタノフには歯科医(dental surgeon)の研修生だった過去があります(*4)。1985年アレクサンダー・ザルドスタノフは西ベルリン(西ドイツの飛び地)に移り住みました(*9)。
西ベルリン時代、アレクサンダー・ザルドスタノフは「セクストン」(Sexton)というパンクロックのクラブで用心棒として働いていました(*9)。アレクサンダー・ザルドスタノフはこの時に、現地のヘルズ・エンジェルス構成員と親交を結びました(*9)。ヘルズ・エンジェルスがベルリンに支部を設立したのは1990年でした(ドイツは1990年に再統一されました)(*10)。1980年代後半アレクサンダー・ザルドスタノフはモスクワに戻り、ナイト・ウルブスを率いていきました(*9)。
アレクサンダー・ザルドスタノフは1999年バイク事故に遭いました(*5)。以降、アレクサンダー・ザルドスタノフは正教会(Orthodox)の活動に熱心になっていきました(*5)。また2011年時、先述のウルフ・ホールディングスには「親会社」がありました(*6)。親会社の名前は「ウルフ77」(Wolf77 Ltd)でした(*6)。アレクサンダー・ザルドスタノフはウルフ77の創業者であり、また2011年時点で共同オーナーの1人でした(*6)。
以上からナイト・ウルブスはアウトロー的な組織でありながらも、ロシア国内においては合法組織として扱われていることが分かります。
2022年2月ロシアはウクライナに軍事侵攻しました。ロシアにはロシア軍の他に武装組織がいます。軍隊以外の武装組織の典型が民間軍事会社「ワグネル」(2013年設立)です(*11)。2014年ロシアのクリミア併合時、ナイト・ウルブスは威嚇活動や道路封鎖などで、ロシア軍を「側方支援」しました(*5)。後の2014年12月アメリカ合衆国財務省はナイト・ウルブスをブラックリストに登録しました(*12)。
またロシアではウラル山脈のイルビット・モーターサイクル・ファクトリー(Irbit Motorcycle Factory)という会社が、「ロシア版ハーレー」(ハーレーのコピー)を製造しました(*13)。イルビット・モーターサイクル・ファクトリーによるロシア版ハーレー製造に際して、ナイト・ウルブスはサポートをしました(*13)。イルビット・モーターサイクル・ファクトリーはサポートに感謝したのか、ロシア版ハーレーの商品名に「ウルフ」という名前を付けました(*13)。
ロシアには他に「ブラック・イーグルス」(Black Eagles)という地元バイカーギャングが活動してきました(*7)。ブラック・イーグルスはダゲスタン(ロシアの北カフカース連邦管区)の組織で、ナイト・ウルブス同様「体制派」の立場をとってきました(*7)。
<引用・参考文献>
*1 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』(William Marsden&Julian Sher,2007,Hodder & Stoughton),p254
*2 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』,p236
*3 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』,p239-240
*4 Rolling Stoneサイト「Putin’s Angels: The Ride of Russia’s Night Wolves」(Damon Tabor,2015年11月26日)
https://au.rollingstone.com/culture/culture-news/putins-angels-the-ride-of-russias-night-wolves-898/
*5 Balkan Insightサイト「Balkans Should Beware of Putin’s Night-Time Bikers」(Nicole Ely,2019年6月28日)
https://balkaninsight.com/2019/06/28/balkans-should-beware-of-putins-night-time-bikers-2/
*6 Matthew A. Lauder.(2018). ‘Wolves of the Russian Spring’: An Examination of the Night Wolves as a Proxy for the Russian Government. Canadian Military Journal, Vol. 18, No. 3, Summer,p8-9
http://www.journal.forces.gc.ca/vol18/no3/PDF/CMJ183Ep5.pdf
*7 Euromaidan Pressサイト「Night Wolves. Russian killing machine factory」(Wojciech Mucha,2015年4月25日)
*8 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin), p80
*9 Matthew A. Lauder.(2018). ‘Wolves of the Russian Spring’: An Examination of the Night Wolves as a Proxy for the Russian Government,p15
*10 ヘルズ・エンジェルスのサイト「ドイツ」
*11 『現代ロシアの軍事戦略』(小泉悠、2022年、ちくま新書), p160-161
*12 Balkan Insightサイト「Russia’s ‘Night Wolves’ to Tour Bosnia Despite Ban」(Mladen Lakic and Maja Zivanovic,2018年3月20日)
*13 『アウトロー・バイカー伝説』(ビル・オズガービー、2008年、スタジオタッククリエイティブ),p130
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