2011年の国連レポート(「The Global Afghan Opium Trade:A Threat Assessment」)によれば、2009年アフガニスタンから約365トンの自国産ヘロイン(heroin)が国外に密輸されました(*1)。1トンはkgに直すと、「1,000kg」になります。365トンのうち、160トンがパキスタン、115トンがイラン、90トンが中央アジア(アジア中央部の内陸地域)に運ばれました(*1)。ヘロイン密輸量(重量)全体のうち、パキスタン行きが約43.8%、イラン行きが約31.5%、中央アジア行きが約24.7%だったことが分かります。
図 アフガニスタンの地図(出典:Googleマップ)
2009年時点でヘロイン主要生産国はアフガニスタン、ミャンマー、メキシコ、インド、コロンビア、ラオスの6カ国でした(*2)。2009年においてアフガニスタンだけで世界全体のヘロイン消費量の84%を供給していました(*2)。他の5カ国は少量の生産にとどまっていました(*2)。1990年代東南アジア(特にミャンマー)のヘロイン生産量が減少していったのに対し、同時期アフガニスタンのヘロイン生産量は増加していきました(*2)。
2011年時アフガニスタ産ヘロインの純度は約70%と推定されていました(*2)。しかし末端市場(消費市場)では、アフガニスタン産ヘロインの純度は5~15%に下がっていました(*2)。介在者が重量を増やす目的で混ぜ物を入れた為、末端市場に近づけば近づくほど、純度は下がっていっていきました (*2)。
ちなみに1990年代半ば~2009年まで流通したメキシコ産ヘロイン(ブラック・タール・ヘロイン)の純度は25~30%未満でした(*3)。逆にコロンビア産ヘロインは時々、純度90%台のものが流通していました(*2)。過去のアジアでは「4号ヘロイン」が流通しており、溝口敦の取材(回答者は中国の公安職員)によれば、1988年頃の中国雲南省付近では4号ヘロインの純度は約90%で、1993年頃の4号ヘロインの純度は約50%でした(*4)。
2009年アフガニスタンでは約6,900トンの生アヘン(raw opium)の生産があったと推定されていました(*5)。アヘンの原料は、植物ケシ(二年草)です(*6)。ケシの未熟な果実に傷をつけると乳液が出ます(*6)。ケシの乳液を乾燥及び固形化させると、先述の「生(しょう)アヘン」ができあがります(*6)。さらに生アヘンに水を加え、加熱・溶解・ろ過した後に、煮つめて冷却すると、「アヘン煙膏(えんこう)」ができます(*6)。アヘン摂取者は吸煙具にアヘン煙膏を入れて吸煙していました(*6)。
また生アヘンの精製により「モルヒネ」(morphine)がつくられ(*6)、モルヒネの精製により「ヘロイン」がつくられます(*7)。アヘン、モルヒネ、ヘロインは中枢神経抑制薬(ダウナー系ドラッグ)に該当します(*8)。
2009年時、アヘンはアフガニスタン以外に、ミャンマー、ラオス、メキシコ、インド、エジプト、東欧諸国で生産されていました(*2)。先述したように、2009年時点でヘロイン主要生産国はアフガニスタン、ミャンマー、メキシコ、インド、コロンビア、ラオスの6カ国でした。
以上から2009年時点で「アヘン及びヘロイン生産国」はアフガニスタン、ミャンマー、ラオス、メキシコ、インドの5カ国でした。他方「アヘンのみの生産国」はエジプトと東欧諸国で、「ヘロインのみの生産国」はコロンビアでした。コロンビアでは1978年からケシが栽培され始めたといわれており、2002年のコロンビアでは4,900ヘクタールのケシ畑がありました(*9)。1ヘクタールは1万㎡(100m×100m)です。またケシ栽培はコロンビアの隣国ペルーでも2003年以前には栽培されていました(*9)。コロンビアでは1990年代後半から「カリ・カルテル」(Cali Cartel)がヘロインビジネスに比重を置くようになり、アフガニスタン人や華人の化学者を雇い、1990年代末に純度96%のヘロインを作るのに成功しました(*9)。
1995年夏、コロンビア警察はカリ・カルテルを厳しく取締り、7人の最高幹部を逮捕しました(*10)。以降カリ・カルテルは力を弱めていきました(*10)。メキシコの「フアレス・カルテル」(Juárez Cartel)は、カリ・カルテルの弱体化を見て、ボリビアから直接コカインを仕入れていきました(*10)。以前まではカリ・カルテルがコカインをメキシコ麻薬カルテルに供給していました(*10)。フアレス・カルテルは「コロンビア抜かし」を行ったのです。
当然、カリ・カルテルのコカインビジネスの収益は落ちていったと考えられます。後にフアレス・カルテル側とカリ・カルテル側との間で話し合いがもたれ、再びカリ・カルテルがメキシコまでコカインを運ぶことになりましたが、「メキシコ以降の流通」に関しては関与できなくなりました(*10)。フアレス・カルテルが「アメリカ合衆国向けコカインビジネスの主導権」をカリ・カルテルから奪い取ったことが分かります。一方カリ・カルテルは再起を図る為、ヘロインビジネスに比重を置いていったのだと考えられます。
2009年時アフガニスタン産の生アヘンの約95%がアフガニスタン南部の州(ヘルマンド州、カンダハール州、ファラー州、ニームルーズ州、ウルーズガーン州)で生産されました(*5)。ヘロイン精製工場も上記のアフガニスタン南部の州に集まっていました(*5)。2009年時、生アヘン6,900トンのうち2,700トンが、アフガニスタン国内でのヘロイン製造に用いられたようです(*5)。生産された生アヘンの約39.1%がヘロイン製造に用いられたことになります。アフガニスタン麻薬取締警察(Counter Narcotics Police of Afghanistan)のトップによれば、特にヘルマンド州では数十のヘロイン精製工場がありました(*5)。
2009年時「生アヘン6,900トン」から「ヘロイン製造用の生アヘン2,700トン」を引くと、4,200トンの生アヘンが残ります。4,200トンのうち約2,600トンの生アヘンが貯蔵されていたようです(*11)。生産された生アヘンの約37.7%が貯蔵されていたことになります。
主にアフガニスタンの取引業者や農家が生アヘンを貯蔵していました(*11)。ケシの不作や警察組織の取締りによる供給の不安定に備えて、取引業者は生アヘンを貯蔵していました(*11)。つまり取引業者は生アヘンを充分に仕入れられない時に備えて、生アヘンを貯蔵していたのです。2011年時アフガニスタンには数百人のアヘン取引業者がいました(*11)。
貯蔵量は取引業者によって異なりました(*11)。最大3トンの生アヘンを貯蔵していた取引業者がいれば、500kg程度の生アヘンを貯蔵していた取引業者もいました(*11)。
アフガニスタンのケシ農家は伝統的に、後々の販売目的で、収穫量10~20%程度の生アヘンを貯蔵していました(*11)。2010年アフガニスタンの生アヘン生産量が減った際、アフガニスタン内外の違法薬物市場においてアヘンとヘロインの供給不足は生じませんでした(*11)。アヘン及びヘロインの供給において、大量の生アヘン貯蔵量が「供給余力」として機能していたと考えられます。
大量に貯蔵できた背景には、生アヘンの保存性の高さがありました。生アヘンはプラスチック袋の中に収納されれば、長期間保存ができました(*1)。一方ヘロインの場合、例えば純正ブラウン・ヘロインの賞味期限は約2年でした(*1)。ゆえに「生アヘンの形態での貯蔵」が選ばれたのです。
取引業者や密輸(密売)業者は、貧困家庭に手数料を払い、貧困家庭の敷地内に生アヘンを隠させていました (*1)。隠匿方法としては、土の中に埋める方法がよくとられていました(*11) (*1)。
先述したように、2009年に約365トンのアフガニスタン産ヘロインが国外に密輸されました。加えて生アヘンも国外に密輸されていました(*1)。1,200~1,400トンの生アヘンが国外に運ばれており、特にイランには1,050トンの生アヘンが運ばれていました(*1)。2009年、国外密輸量(重量)において生アヘンがヘロインを上回っていたことが分かります。
2009年の世界では1,200~1,300万人のヘロイン使用者がおり、375トンの純正(純度70%)ヘロインが摂取されたと、推定されました (*2)。一方、同時期においてアヘンは300~400万人の使用者がおり、1.3トン摂取されたと、推定されました (*2)。需要においてはヘロインの方がアヘンを上回っていました。
ゆえにアフガニスタン外に密輸された生アヘンの多くは、後にヘロインに精製されたと考えられます。
先述したように、2009年アフガニスタン産ヘロイン90トンが中央アジア方面に密輸されました。ヘロイン90トンのうち75~80トンは、さらにロシア連邦方面に流れていました(*12)。中央アジア行き密輸ヘロインの83.3~88.9%がロシア方面に渡っていたことが分かります。ロシアに流れなかったヘロインのうち、11トンは中央アジア内で消費され、3.4トンは押収されました(*12)。アフガニスタンから中央アジアを通りロシアに向かう経路は「北ルート(ノーザンルート)」(Northern Route)と呼ばれていました(*12)。
中央アジアには、国としてタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、カザフスタンの5カ国があります。5カ国とも旧ソ連から独立しました。
中央アジア諸国の中でアフガニスタンと接しているのはタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの3カ国です。密輸(密売)業者がアフガニスタンから中央アジアに入る際には「アフガニスタン-タジキスタン国境」を一番多く利用していました(*12)。タジキスタン麻薬取締局(Drug Control Agency of Tajikistan)によれば、2009年時のアフガニスタン-タジキスタン国境は「抜け穴」が多かったです(*12)。アフガニスタン-タジキスタン国境は山岳地帯であり、国境警備及び検問には限界がありました(*12)。タジキスタン麻薬取締局によると、2009年時点でタジキスタンには、20の密輸(密売)組織が活動していました(*13)。2011年時点では密輸(密売)はアフガニスタン-タジキスタン国境で、主に3~15人の小規模グループによって行われていました(*13)。
ウズベキスタンにもアフガニスタンから少量のヘロインが運び込まれていました(*12)。アフガニスタン-タジキスタン国境に比し、「アフガニスタン-ウズベキスタン国境」は距離的に短いです。両国の間を流れる川が国境線となっています(*12)。ゆえに2009年時アフガニスタン-ウズベキスタン国境における国境検問所はハイーラターンの1カ所しかありませんでした(*12)。密輸(密売)業者にとってアフガニスタン-ウズベキスタン国境は、捕まるリスクの高かったエリアといえます。
「アフガニスタン-トルクメニスタン国境」は平らな地形の為、取締り側は監視しやすかったです(*12)。アフガニスタンからトルクメニスタンに行く際は、主に2つのルートがありました(*12)。1つはトルクメニスタン側のセルヘタバットという街を経由しました(*12)。2009年時、2つのルートとも交通量は多くなく(*12)、密輸(密売)業者にとっては、捕まるリスクの高かったエリアといえます。
中央アジア諸国において陸地でロシアと接しているのはカザフスタンだけです。ノーザンルート上、アフガニスタンから最初にヘロインが多く運ばれたのがタジキスタンでした。タジキスタンとカザフスタンは陸地ではつながっていません。他方キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンはカザフスタンと接しています。そしてタジキスタンはトルクメニスタンとは接していませんが、キルギス、ウズベキスタンとは接しています。ゆえに2009年時点「アフガニスタン→タジキスタン→キルギスorウズベキスタン→カザフスタン→ロシア」の経路が主要ノーザンルート(陸路)といえました(*12)。
「タジキスタン-ウズベキスタン国境」のグリーンボーダー(green border)は越境しやすく、また両国間の交通量は多かったです(*12)。密輸(密売)業者側にとって「アフガニスタン-ウズベキスタン国境」の越境より、「タジキスタン-ウズベキスタン国境」の越境の方が容易だったのでした(*12)。密輸(密売)業者にとっては、直接ウズベキスタンに行くよりは、間接的にウズベキスタンに行った方が安全だったのでしょう。
2009年「ウズベキスタン経由」よりも「キルギス経由」のヘロインの方がカザフスタンに多く流入したと推定されました(*12)。
1990年代初頭まで中央アジア諸国は「旧ソ連領土」でした。1990年代初頭までは中央アジア諸国間に「国境」はなく、以降「国境」が生まれた後も中央アジア諸国間の経済的関係は密接でした(*14)。また2012年時点の中央アジア諸国間では自由貿易協定が結ばれており、諸国内からの輸入品は原則的に免税対象でした(*14)。中央アジア諸国内では、人や物の行き来はしやすかったと考えられます。しかし中央アジア諸国間の行き来においてデメリットもありました。デメリットの1つとしては、海上輸送が使えないことがありました(*14)。内陸国間の行き来になる為、中央アジア諸国は大量輸送可能な船を輸送手段として使えないのです(*14)。
一方、中央アジア諸国外からの輸入品には関税がかかりました(*14)。諸国外との貿易に関しては、各国によって対応が異なっていました。ウズベキスタンは輸入代替産業を育てる目的で、輸入商品に高い関税を課していました (*14)。一方、キルギスは1998年中央アジア諸国の中で最も早く世界貿易機関(WTO)に加盟し、貿易面において開放的な政策をとっていました(*14)。
2011年時カザフスタンの密輸(密売)業界では「外国の組織」が多く活動していました(*15)。
ノーザンルートのヘロイン密輸では、しばしば「統括役なきリレー方式」がとられていました(*13)。アフガニスタンからロシアまでのヘロイン密輸(密売)を一貫して差配する組織は限られており、各地の密輸(密売)業者はヘロインを「次の業者」に転売すれば、済んでいました(*13)。
例外はタジキスタンとロシアのアウトロー組織でした。両者は2011年時、アフガニスタンからロシアまで(ノーザンルート)のヘロイン密輸及び密売を一貫して差配することができていました(*13)。他の中央アジア4カ国にも地元アウトロー組織が活動していましたが、タジキスタンとロシアのアウトロー組織のように、一貫して差配することはできませんでした(*13)。
ノーザンルート上のエリア(中央アジア諸国)ではロシア語が「共通言語」としての役割を果たしていました(*13)。「ロシアのアウトロー組織」と「中央アジア諸国のアウトロー組織」はロシア語でコミュニケーションをとれていたのです。ロシア語というコミュニケーションツールを有していたことで、双方とも連携をとりやすかったと考えられます。
2018年出版の書籍情報によれば、ロシア側では「ソーンツェヴォ」(ラテン文字転写:Solntsevo)、「タンボフスカヤ」(ラテン文字転写:Tambovskaya)、「オニアニ(ラテン文字転写:Oniani)グループ」、「チェチェン系組織」等のアウトロー組織が、ロシア国内で高速道路、鉄道(シベリア鉄道、バイカル・アムール鉄道)、空路を利用し、大量の違法薬物を動かす組織として知られてきました(*16)。ソーンツェヴォ、オニアニグループは首都モスクワを本拠地としていました(*17)。タンボフスカヤはサンクトペテルブルクを本拠地としていました(*17)。
ロシア国内では個人が密輸(密売)業者になる場合もありました(*16)。主にシャトル・トレーダー(shuttle traders)、航空職員、トラック運転手、外国(主に中央アジア)アウトロー組織の構成員が、密輸(密売)を「副業」として行っていました(*16)。個人の密輸(密売)業者は、中央アジアもしくは中央アジアに近いロシア領土内で違法薬物を仕入れていました(*16)。個人の密輸(密売)業者はしばしば、ロシア系アウトロー組織の「容認」の下で活動していました(*16)。ゆえに個人の密輸(密売)業者は、地元のアウトロー組織に対し、違法薬物の一部もしくは収益の一部を支払っていました(*16)。
上記のシャトル・トレーダーとは、シャトル貿易を行う者を指します。鈴木義一によれば、シャトル貿易とは、旅行者が海外で「免税の範囲内」で物品を購入し、帰国時の税関では「個人消費目的の使用」として申告・通関するものの、実際は国内で物品を消費せず、国内の小売もしくは小規模卸売市場に販売することで利益を上げるビジネスです(*18)。通常の輸入ビジネスでは関税を支払うのに対し、シャトル貿易では関税支払いを回避する為、利益が増えるのです。シャトル貿易は日本では「担ぎ屋貿易」と呼ばれていました(*18)。シャトル貿易は、違法薬物の密輸等の犯罪行為とは区別されるものの、「インフォーマル経済活動」と認識されていました(*18)。
【関連記事】
<引用・参考文献>
*1 「The Global Afghan Opium Trade:A Threat Assessment」(United Nations Office on Drugs and Crime,2011),p28
https://www.unodc.org/documents/data-and-analysis/Studies/Global_Afghan_Opium_Trade_2011-web.pdf
*2 「The Global Afghan Opium Trade:A Threat Assessment」, p16
*3 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p172
*4 『中国「黒社会」の掟-チャイナマフィア』(溝口敦、2006年、講談社+α文庫),p337-338
*5 「The Global Afghan Opium Trade:A Threat Assessment」, p26
*6 『日中アヘン戦争』(江口圭一、1988年、岩波新書),p14-16
*7 『アジア遊学260 アヘンからよむアジア史』(内田知行、2021年、勉誠出版), p9
*8 『薬物依存症』(松本俊彦、2018年、ちくま新書), p31-32
*9 『コロンビア内戦 ― ゲリラと麻薬と殺戮と』(伊高浩昭、2003年、論創社),p114-117
*10 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』,p76
*11 「The Global Afghan Opium Trade:A Threat Assessment」, p27
*12 「The Global Afghan Opium Trade:A Threat Assessment」, p44-45
*13 「The Global Afghan Opium Trade:A Threat Assessment」, p46
*14 久保公二.(2012). 中央アジアのシャトル交易―貿易政策への含意―. 国際関係学研究, Vol.38.p33-35
*15 「The Global Afghan Opium Trade:A Threat Assessment」, p47
*16 『The Vory: Russia’s Super Mafia』(Mark Galeotti,2018, Yale University Press),p139
*17 『The Vory: Russia’s Super Mafia』,p128
*18 鈴木義一.(2020). 中ロ国境地域の社会・経済構造と「シャトル貿易」. ロシア・ユーラシアの社会, 7・8月号.p61
https://www.jstage.jst.go.jp/article/roseursoc/2020/1051/2020_52/_pdf
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