1970年代前半からケープフラッツのストリートギャングは、近隣店から「用心棒代」、酒販店から収益の一部、縄張り内で営業するタクシー運転手から通行手数料を徴収してきました(*1)。ケープフラッツとは、ケープタウン(西ケープ州の州都)の地区の1つで、南東部に位置しています。当時のケープフラッツでは、ストリートギャングに許可なく営業した者は「制裁対象」となりました(*1)。
西ケープ州のタクシー業界では1952年「ランガ・ググレトゥ・ニャンガ・タクシー協会」(LAGUNYA)という組織が設立されました(*2)。ランガ・ググレトゥ・ニャンガ・タクシー協会所属のタクシーは、タウンシップ(アフリカ人居住区)内を移動するアフリカ人を対象に営業していました(*2)。ランガ・ググレトゥ・ニャンガ・タクシー協会とストリートギャングの関係は不明ですが、ケープフラッツを含む西ケープ州では1970年代にタクシービジネスがあったことが分かります。
1970年代後半から1980年代後半まで西ケープ州の裏社会では「ボーン・フリー・キッズ」(Born Free Kids)、「モングレルズ」(Mongrels)、「スコーピオンズ」(Scorpions)というストリートギャングが力を持っていました(*3)。当時のストリートギャングは「用心棒代」を徴収し、性風俗ビジネスを支配下に置き、盗品電子機器を売買し、また違法薬物ビジネスを手掛けることで資金を獲得していたと考えられています(*3)。
ボーン・フリー・キッズは更生施設内で結成されました(*4)。モングレルズはケープタウン第六地区のファミリーマフィアとして結成され、ケープフラッツ全域に支部を設立しました(*4)。スコーピオンズは1980年代のケープタウンで最も資金力のある組織でした(*4)。
1970年代ボーン・フリー・キッズ構成員は収監されると、概ね「26sの構成員」になりました(*5)。「26s」とは南アフリカにおける刑務所ギャングの1つで、南アフリカには他に「27s」「28s」という刑務所ギャングも活動していました(*6)。刑務所ギャング3団体は「ナンバーギャング」(Number gangs)と総称されました(*6)。また26s構成員が出所すると、概ね「ボーン・フリー・キッズの構成員」になりました(*5)。ボーン・フリー・キッズ構成員は、自身の置かれた環境によって、「所属組織」を変えていったのです。スコーピオンズの場合、構成員は収監されると、概ね「28sの構成員」になりました(*5)。
当時(1970年代後半から1980年代後半)の西ケープ州においてストリートギャングは主にマンドラックス(Mandrax)、マリファナ(marijuana)を扱っていたと考えられています(*3)。
マンドラックスは俗称で、薬物名は「メタカロン」になります(Methaqualone)(*7)。メタカロンは中枢神経抑制薬であり、睡眠障害や不眠症の治療等目的で用いられてきました(*7)。1960年代及び1970年代メタカロンは「クアールード」(Quaalude)や「マンドラックス」(Mandrax)という商品名で、一般の医薬品市場で販売されました(*7)。南アフリカでは「マンドラックス」という商品名でメタカロンが流通しました(*7)。使用者の中で薬効を早く得たい者は、吸煙や注射でマンドラックスを摂取しています(*7)。1日にマンドラックス3、4本の吸煙で使用者は気を失うとされています(*8)。マリファナも中枢神経抑制薬に分類されます(*9)。
1980年代後半にクラック(crack)、ヘロイン(heroin)、クラブドラッグ等が、南アフリカの違法薬物市場に流れ込んできました(*3)。背景には、南アフリカが1980年代後半からグローバル市場に取り込まれていったことがありました (*3)。
クラックは、コカ葉を原料とするもので、主に吸煙で摂取されました(*10)。1980年代のアメリカ合衆国においてクラックは流行しました(*11)。コカインに比し、クラックは安価に設定されており、主にアフリカ系住民の間で広まっていきました(*12)。コカインは中枢神経興奮の薬効を持つ為(*13)、クラックも同様の薬効を持つと推測されます。ヘロインは中枢神経抑制薬に分類されます(*9)。
西ケープ州における古参ストリートギャングは、違法薬物市場における需要の変化だけではなく、「自身の縄張り外」で新規の違法薬物が流通していることに気づきました(*3)。古参ストリートギャングは、既存客が逃げてしまうことを懸念しました(*3)。古参ストリートギャングは、急いで地盤を固めるのに加えて、西ケープ州内で新しく縄張りを開拓していきました(*3)。開拓していった縄張りのエリアは、ケープタウンの近郊都市から、ケープ半島における東西の沿岸集落や内陸地域の田舎町までを含みました(*3)。
「アメリカンズ」(Americans)の首領ジャッキー・ロンティ(Jackie Lonti)がケープフラッツにクラックを持ち込んだといわれています(*3)。ジャッキー・ロンティはクラックビジネスで莫大な収益を上げました(*14)。アメリカンズは元々ストリートギャングで、ケープフラッツのアスローン(Athlone)を本拠地としていました(*15)。ジャッキー・ロンティは1996年ポルスモア(Pollsmoor)刑務所に収監されました(*14)。1990年代西ケープ州のストリートギャング業界においてアメリカンズは二大勢力の1つでした(*5)。二大勢力のもう1つは「ファーム」(Firm)でした(*5)。
ポルスモア刑務所内ではジャッキー・ロンティは「26sの中堅構成員」でした(*14)。ジャッキー・ロンティは「刑務所外」ではアメリカンズのトップであり、一方「刑務所内」では26sの中堅構成員だったのです。刑務所内の領域では、26sがアメリカンズより上位にあったことが窺い知れます。ジャッキー・ロンティは2000年に暗殺されました(*3)。
一方、先述のファームの上級構成員は、刑務所内では概ね「28sの一般構成員」となりました(*14)。刑務所内の領域では、28sがファームより上位にあったことが窺い知れます。
アメリカ合衆国カリフォルニア州の刑務所ギャング「ラ・エメ」(La Eme)の場合、カリフォルニア州南部において多くのヒスパニック系ストリートギャングを傘下に置いていました(*16)。ラ・エメに対し上納金を払ったストリートギャングの構成員は刑務所内で「ラ・エメの保護下」に入り、一方ラ・エメに対し上納金を払わなかったストリートギャングの構成員は刑務所内で「攻撃対象」となりました(*17)。
ラ・エメ傘下のヒスパニック系ストリートギャングの総称が「スレーニョス」(Sureños)でした(*16)。「エイティーンス・ストリートギャング」(18th Street Gang)、「フロレンシア13」(Florencia 13)、「マラ・サルバトルチャ13」(Mara Salvatrucha 13)、「アベニューズ」(Avenues)などのストリートギャングがスレーニョスでした(*16)。ラ・エメ構成員になるには「スレーニョスの構成員」→「カマラダス」(Camaradas)→「ラ・エメ構成員」の過程を踏む必要がありました(*16)。カマラダスはラ・エメ構成員ではなく、「ラ・エメの密接な関係者」という位置付けでした(*18)。つまりスレーニョスの構成員が服役囚になっても、ラ・エメの構成員になることはなかったのです。
一方南アフリカでは、ストリートギャングの構成員は刑務所内においいて「刑務所ギャングの構成員」になっていた場合があったのです。
1990年代前半からアメリカンズは「26sの要素」(人員の採用方法、階級構造等)を組織内に取り込んでいきました(*19)。一方ファームは「28sの要素」を組織内に取り込んでいきました(*19)。
<引用・参考文献>
*1 『The Number』(Jonny Steinberg,2005, Jonathan Ball Publishers), p281
*2 『エリア・スタディーズ 南アフリカを知るための60章』「ポストアパルトヘイト体制への移行と暴力の再生産-政治暴力と「タクシー戦争」-」(遠藤貢、2021年、明石書店),p86-90
*3 『The Number』, p282-283
*4 『The Number』, p124
*5 『The Number』, p72
*6 Jonny Steinberg.(2004). Nongoloza’s Children:Western Cape prison gangs during and after apartheid. Centre for the Study of Violence and Reconciliation.
http://www.csvr.org.za/docs/correctional/nongolozaschildren.pdf
*7 安全保障研究所(Institute for security studies)サイト内「The white pipe keeps burning」(Richard Chelin,2021年1月6日)
https://issafrica.org/iss-today/the-white-pipe-keeps-burning
*8 『The Number』, p62
*9 『薬物依存症』(松本俊彦、2018年、ちくま新書), p31-32
*10 『コカイン ゼロゼロゼロ 世界を支配する凶悪な欲望』(ロベルト・サヴィアーノ著、関口英子/中島知子訳、2015年、河出書房新社),p155
*11 『誰がラッパーを殺したのか?』(小林雅明、1999年、扶桑社), p74-75
*12 『アメリカ黒人の歴史 奴隷貿易からオバマ大統領まで』(上杉忍、2018年、中公新書), p191-192
*13 『薬物依存症』, p33-34
*14 『The Number』, p313
*15 『The Number』, p280
*16 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「Sureños」(Gabe Morales,2022)
*17 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「EME Command,Control,and Taxation」(Gabe Morales,2022)
*18 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「Camaradas」(Gabe Morales,2022)
*19 『The Number』, p73
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