ヴィニー・オーシャンのストリップクラブ

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 「デカヴァルカンテ・ファミリー」(DeCavalcante Family)はアメリカ合衆国東部のニュージャージー州を拠点に活動してきました(*1)。1994年時点のデカヴァルカンテ・ファミリー内で一目置かれていたのがヴィニー・オーシャン(Vinny Ocean)でした(*1)。ヴィニー・オーシャンは「ヴィンセント・パレルモ」(Vincent Palermo)とも呼ばれていました(*2)。

 1960年代前半ヴィンセント・オーシャンは、シモーネ・リッツォ・デカヴァルカンテ(Simone Rizzo DeCavalcante)の姪と結婚しました(*3)。シモーネ・リッツォ・デカヴァルカンテは1964年にデカヴァルカンテ・ファミリーを立ち上げました(*4)。翌1965年ヴィンセント・パレルモ(当時20歳)は、デカヴァルカンテ・ファミリーに入りました(*3)。

 当時(1960年代後半)のデカヴァルカンテ・ファミリーは、ニュージャージー州北部の建設労働者組合の多くを影響下に置いていました(*3)。またニューヨーク市の五大ファミリーともデカヴァルカンテ・ファミリーは良好な関係を築いていました(*3)。五大ファミリーとはコロンボ・ファミリー(Colombo family)、ルケーゼ・ファミリー(Luchese family)、ボナンノ・ファミリー(Bonanno family)、ジェノベーゼ・ファミリー(Genovese family)、ガンビーノ・ファミリー(Gambino family)を指しました(*3)。

 ヴィニー・オーシャンはニューヨーク勢と「ビジネスパートナー」の関係を築きました(*5)。ガンビーノ・ファミリーは高利貸し、賭博ビジネスにおいてヴィニー・オーシャンと組んでいました(*5)。またコロンボ・ファミリーとジェノベーゼ・ファミリーもヴィニー・オーシャンと協業していました(*5)。

 1994年以前、ヴィニー・オーシャンは「支配下の労働組合」を介し建設会社から金を徴収、徴収金の一部を高利貸しや賭博業の原資にあてました(*5)。以上のビジネスによりヴィニー・オーシャンは毎週数千ドル(簿外)を集めていました(*5)。

 また1998年からはヴィニー・オーシャンは「T&M建設」(T&M Construction)と「マンティ輸送」(Manti Transportation)の2社から金を徴収していきました(*6)。マンティ輸送は、ロングアイランド(ニューヨーク州)のスクールバスの会社でした(*6) (*7)。ヴィニー・オーシャンはマンティ輸送から毎週千ドルを徴収しました(*6)。

 徴収方法としては「給料を得る」という形がとられました。ヴィニー・オーシャンの運転手であるジョーイ・オ・マセラ(Joey O Masella)が名目上「マンティ輸送の従業員」になりました(*7)。「ジョーイ・オ・マセラの給料」が徴収金になったのです。元々マンティ輸送は資金繰りに苦しんでおり、経営者は高利貸しの利用を余儀なくされていました(*7)。高利貸しの利用からマンティ輸送は裏社会と接点を持つようになったと考えられます。

 1994年7月13日ニューヨーク市クイーンズ区レゴ・パーク(Rego Park)地区にストリップクラブ「ウィグルス」(Wiggles)が開業しました(*8)。「ディン・ディン・シーフード」(Din Din Seafood)という会社がストリップクラブ「ウィグルス」を運営していました(*2)。ディン・ディン・シーフードは「ペーパーカンパニー」(shell corporation)でした(*2)。ポール・ラニエリ(Paul Ranieri)という人物がストリップクラブ「ウィグルス」の名目上オーナーになっていましたが、実質のオーナーはヴィニー・オーシャンでした(*2)。

 ストリップクラブ「ウィグルス」は毎週数十万ドルの現金を生み出しており、ヴィニー・オーシャンにとって重要な収益源でした(*2)。ヴィニー・オーシャンはストリップクラブ「ウィグルス」にはほとんどおらず、毎週の「徴収」時には先述のジョーイ・オ・マセラを行かせていました (*2) 。ジョーイ・オ・マセラは分厚い封筒(「多額の現金」を意味します)をヴィニー・オーシャンに持参しました(*2)。おそらくストリップクラブ「ウィグルス」はヴィニー・オーシャンに毎週現金を流していたことから、売上を過少に計上していたと考えられます。

 シモーネ・リッツォ・デカヴァルカンテは、デカヴァルカンテ・ファミリーの次期トップにジョン・リッギ(John Riggi)を指名しました(*9)。ジョン・リッギはトップになったものの、逮捕、起訴され、1990年に懲役刑を言い渡されました(*9)。収監中もジョン・リッギは組織のトップを務め (*10)、組織運営をジェイク・アマリ(Jake Amari)に任せました(*9)。ジェイク・アマリは「アクティング・ボス」(acting boss)として役割を担っていましたが、胃ガンを患わっており、後に死去しました(*11)。

  その後はヴィニー・オーシャン、ジローラモ・ジミー・パレルモ(Girolamo Jimmy Palermo)、ビッグ・イヤーズ・チャーリー・マジュリ(Big Ears Charlie Majuri)が「アクティング・ボス」として現場でデカヴァルカンテ・ファミリーを率いていきました(*10) (*11)。

 1999年12月ロングビーチ市(ニューヨーク州)で連邦捜査局(FBI)がヴィニー・オーシャンを逮捕しました(*10)。ヴィニー・オーシャンが捜査機関に対し供述したことにより、2000年10月19日連邦捜査局及びニューヨーク市警察(NYPD)は、デカヴァルカンテ・ファミリー構成員の大量逮捕に至りました(*10)。

<引用・参考文献>

*1 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』(Greg B. Smith,2003, Berkley), p13

*2 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』, p6-7

*3 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』, p10-12

*4 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』, p17

*5 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』,p14-15

*6 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』,p50-59

*7 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』,p84

*8 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』,p1-2

*9 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』,p18-19

*10 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』,p317-319

*11 『Made Men: The True Rise-and-Fall Story of a New Jersey Mob Family (Berkley True Crime)』,p108-109

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