サンクトペテルブルクの「タンボフスカヤ」

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 ロシアのアウトロー組織の1つである「タンボフスカヤ」(ラテン文字転写:Tambovskaya)は、1988年レニングラード(現在の北西連邦管区サンクトペテルブルク)で結成されました(*1)。創設者は2人で、ともにタンボフ州(中央連邦管区)の出身でした(*1)。創設者の1人はウラジミール・クマリン(ラテン文字転写:Vladimir Kumarin)でした(*1)。ウラジミール・クマリンは組織運営やビジネスセンスに長けていました(*1)。

 タンボフスカヤは、サンクトペテルブルクの老舗組織「マリシェフスカヤ」(ラテン文字転写:Malyshevskaya)と縄張りを巡り、抗争をしました(*1)。またタンボフスカヤは他組織を多く吸収し、勢力を拡張させていきました(*1)。しかし吸収された組織の中には、タンボフスカヤと性格が異なる組織、元々ライバルだった組織もあり、後に内部抗争が起きました (*1)。1993年までに内部抗争は起き、2年間続きましたが、最終的にウラジミール・クマリンが収めました(*1)。1994年ウラジミール・クマリンは、暗殺未遂に遭い、右腕を失くしました(*1)。

 1990年代の終わり頃までに、タンボフスカヤはサンクトペテルブルクの裏社会を仕切るようになっていました(*1)。

 タンボフスカヤは早くから合法領域にも進出しており、合法領域の地方事業者から徴収していました(*1)。徴収額の目安は、事業者利益の20~30%でした(*1)。後にタンボフスカヤは事業の支配権を握るまでに至りました(*1)。加えてタンボフスカヤは「パートナー事業者」を通じて、合法領域における新規事業の立ち上げ、既存事業への投資にも取り組みました(*1)。

 またタンボフスカヤは政治家とつながりを持っていました。地方政治家のヴィクトル・ノヴォセロフ(ラテン文字転写:Viktor Novoselov)は「タンボフスカヤの保護者」でした(*2)。しかし1999年ヴィクトル・ノヴォセロフは公用車の屋根に仕掛けられた爆弾で殺害されました(*2)。

 2018年時点ではタンボフスカヤは、サンクトペテルブルクやレニングラード州(北西連邦管区)ではほとんど活動していませんでした(*2)。レニングラード州の中にサンクトペテルブルクは位置しています。2018年時点ではタンボフスカヤの活動範囲は、「サンクトペテルブルクやレニングラード州以外の北西連邦管区」となっていました(*2)。

 2018年時点ではタンボフスカヤの組織形態は、「小規模組織」の集合体でした(*2)。タンボフスカヤはメタンフェタミン(覚醒剤の一種)や偽造品ビジネスにも取り組むようになりました(*2)。また2018年時点タンボフスカヤの中核部門は、組織内の揉め事の解決、国際的取引等の機能を果たしていたようでした(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『The Vory: Russia’s Super Mafia』(Mark Galeotti,2018, Yale University Press), p142-143

*2 『The Vory: Russia’s Super Mafia』, p144-145

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